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ときを結ぶ

継承という言葉に象徴される年に、人が、ものが、記憶が連なるさまに目を凝らし、その声や物音に耳をそばだててみる。祖母の思いを継ぐ女性宮司、DNA鑑定で特定される戦没者、作家の精神を伝える遺族、網の目に広がる家系図を持つ潜伏キリシタン。明治、大正、昭和、平成、そして令和へ、悠久の「とき」を結ぶ旅に出る。

「ときを結ぶ」(25) 「藍染めジーンズ」

2019.12.7 18:49 共同通信

聖地で極める日本の青 
  世界席巻の日常服で勝負 唯一求め、伝統生かす  

 デニムメーカー「ジャパンブルー」の社長、真鍋寿男(65)は時折、藍染め職人になる。束にした木綿の糸を染料が入ったタンクに漬けて絞ることを繰り返す。「藍の調子を見ながら20回から30回は染めないと、ジーンズに合う濃紺にはならないんです」
 岡山県倉敷市児島地区にある「児島ジーンズストリート」は、真鍋が中心になって育てた。約30の専門店が並ぶジーンズの“聖地”だ。その一角にある工房で、自分の手で試しながら新製品をつくってきた。繊維の街の伝統を生かした唯一のものを追い求めて。

デニムメーカー「ジャパンブルー」の社長、真鍋寿男。世界レベルの「本物」を目指す=岡山県倉敷市
デニムメーカー「ジャパンブルー」の社長、真鍋寿男。世界レベルの「本物」を目指す=岡山県倉敷市

 ▽発祥の地
 地元の高校を卒業した後、市役所に勤めたが「将来の就くポスト、給料までが計算できる仕事に楽しさを感じなくなった」。12年で辞めると、児島の生地卸会社などで働いた。
 児島は江戸時代から綿の産地、織物で栄えた。明治以降は、帆布や学生服、会社の制服の生産で知られる。戦後は「国産ジーンズ発祥の地」としても名を上げた。「営業で多くの産地を歩いたからこそ、織りから裁断、縫製といった一連の技術がそろっている強みに気付きました」
 1992年に起業し生地の販売を始める。その後に「生地づくりから製品化までが一貫してできるここの特徴を生かしたい」と、ジーンズづくりに着手した。米国で生まれて世界を席巻する「日常服」を勝負の土俵に選んだのだ。
 真鍋はとことんこだわった。「ジーンズの青色を極めたい。もっと生地を追求したい」。色はジャパンブルーと呼ばれる日本伝統の藍に懸けた。
 「20歳の頃に水墨画を習ったことがあって、濃淡だけで描く手法に憧れがありました。青は黒よりも奥が深いですね」
 藍の産地である徳島に通い、試行錯誤しながら思う色を出せるまでに3年ぐらいかかった。
 「今では海外から靴を染めてほしいとかいろいろな依頼も来ます。もっと藍を使った製品づくりができるはずです」
 ▽手探り

藍で染めた糸を手織りする池田一貴。ゆっくりと時間をかけて仕上げていく=岡山県倉敷市
藍で染めた糸を手織りする池田一貴。ゆっくりと時間をかけて仕上げていく=岡山県倉敷市

 生地では手織りを始めた。工房近くの販売店には、改良した西陣織の織り機がある。訪ねると、デニム地のパンツとベスト、藍色エプロン姿の池田一貴(27)が織り機に正対して立ち、手を動かしていた。藍染めの木綿糸が縦の糸だ。
 「『耳』と呼んでいる生地の両端も使うので、ここがそろうように特に気を付けています」。肌触りはふんわりとし、青にも自然な深みがある。
 池田は短大で服飾美術を学んでいた。「小さな頃から物づくりを見ているのが好きでした。真鍋社長のことは知っていたので、『手織り技術者募集』の採用情報を見て迷わずに応募しました」
 見ているだけでは分からない。先輩をまねながら自分なりの感覚をつかむ。「全て手探りでした」。織ることができるのは1時間に10センチほど。ジーンズ1本分に3、4日はかかる計算だ。「どれだけ続ければ納得できるものがつくれるのか。まだまだ修業です」
 この後、池田が織った生地を使って、専門の職人が1人で裁断して縫い上げる。トップボタンは純銀製、思いが詰まった藍染めの手織りジーンズは1本22万5千円。生産が年30~40本ということもあり、予約から1年待ちという。
 ▽可能性
 真鍋は機械織りでも妥協しない。アフリカから輸入した高級の綿を旧式の機械でしっかりと織り上げ、高速の機械にはない凹凸感のある生地をつくりあげている。これを使った「桃太郎ジーンズ」は2006年に1本2万2千円で売り出した。10年間は糸切れなどを無料で修理する保証も付けている。
 ネーミングや価格設定に社内でも反対意見が多かったが「日本、岡山で生産したとアピールしたかったので名前は譲れなかった。他の店では千円を切るジーンズも販売されていましたが、はく人の裾野が広がれば、良い物を身に着けたいと思う人が増えるはずだとプラスに考えました」。
 藍染めというランドマーク的な製品が注目を集める。「桃太郎ジーンズ」は高級品としての地位を固め、海外にも販路を広げ、児島のジーンズ業界をリードしている。
 「高いと思うかもしれませんが、ブランド物の洋服なら、それぐらい払っているでしょう」と話す。ジーンズの世界にはカリスマと呼ばれる評論家がいる。「そういった人たちと話ができるのも、個性あるジーンズをつくっているからです」
 もう一つ、力を入れるのが、デニム生地の可能性を広げることだ。学生服などへの利用に加えて、他業種にも呼び掛けて壁紙や建具、畳などにも使われ始めている。
 「経済がグローバル化するこの時代、『歴史があるから』だけでは衰退してしまいます。地場の産業を残すためには覚悟と努力が必要なんです」(敬称略、文・諏訪雄三、写真・堀誠)

街挙げて取り組む   

児島ジーンズストリート
児島ジーンズストリート

 「児島ジーンズストリート」には地元でジーンズを製造する会社の店舗などが立ち並ぶ。2009年から取り組みが始まり、今では海外も含め、多くの観光客でにぎわっている。起業を夢見る若者も集まり、シャッター商店街の活性化、まちおこしの成功例として知られる。その原点にあるのが、地域の強みを生かすという発想だ。
 児島はもともと製品をつくって東京に送ればいいという工場の街。国産ジーンズが生まれた街を見ようと人が訪れても、地元で販売する所も見る所もなかった。それが今では専門商店街ができ、JR児島駅もデニム柄で統一するなど街を挙げての取り組みとなっている。

 

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