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ときを結ぶ

継承という言葉に象徴される年に、人が、ものが、記憶が連なるさまに目を凝らし、その声や物音に耳をそばだててみる。祖母の思いを継ぐ女性宮司、DNA鑑定で特定される戦没者、作家の精神を伝える遺族、網の目に広がる家系図を持つ潜伏キリシタン。明治、大正、昭和、平成、そして令和へ、悠久の「とき」を結ぶ旅に出る。

「ときを結ぶ」(20) 「AED」

2019.10.19 18:02 共同通信
 

悲しみの連鎖、断ち切ろう 
  少女の死から広がる命の輪 遺族ら普及活動に尽力 

 「大丈夫ですか? 119番とAEDをお願いします!」。体育館に響く元気な声。茨城県つくば市の小学校で開かれた救命救急の講習会で、心停止状態の人に電気ショックを与える自動体外式除細動器(AED)の訓練用キットを子どもたちが体験装着していた。
 児童のすぐそばに桐田寿子(48)と桐淵博(66)。会場のスクリーンには、日焼けした肌に水色の服を着た少女の写真が映っている。

茨城県つくば市の小学校で、救命救急の講習を受ける児童を見守る桐田寿子(中央右)と桐淵博(同左)
茨城県つくば市の小学校で、救命救急の講習を受ける児童を見守る桐田寿子(中央右)と桐淵博(同左)

 ▽不信感
 桐田の長女明日香。さいたま市立日進小6年生だった2011年9月29日、校庭での駅伝練習中に倒れ、翌日息を引き取った。救急車が到着するまでの約11分間、心肺蘇生などの救命措置は行われなかった。
 「駅伝がんばるね。ママ、大好き」。明日香は玄関先で母親におどけるように投げキッスをして出かけていった。事故はその日の午後に起きた。
 胸骨圧迫やAEDが使用されていれば助かったかもしれない。看護師である桐田はそう考えた。誤った死亡時刻を公表するなど、学校の対応は事故直後から問題があった。現場にいた友人や救急隊の話は、学校の報告と違っていた。不信感はさらに募った。
 「真実を知りたい」。説明を求めたが、A4用紙2枚の報告書を渡されただけ。「何を聞いてもうつむいたまま。会話にならなかった」。娘に起きたことが知りたい一心だったが、学校や市教委の対応は桐田の心を追い詰めた。行き場のない悲しみと苦しみで絶望的になり、もう限界だと思い始めていた11月25日、当時教育長だった桐淵の訪問を受けた。事故から2カ月がたとうとしていた。
 ▽再発防止
 「今日は、一人の人としてきました」。桐淵は切り出した。「元気に学校に行った明日香さんを、無事に帰すことができずに申し訳ありませんでした」。事故後初めての謝罪の言葉。深々と頭を下げる姿に、真摯に遺族と向き合う姿勢を感じた。張り詰めていた緊張がとけ、涙があふれた。
 遺族と学校、市教委の溝が深まる中、このままではいけないと桐淵は強く思っていた。「子どもが好きでこの世界に入った。同じ気持ちの教員は大勢いる。教員と親の立場は違っても、子どもを思う者同士ではないか」
 話し合いは深夜まで続いた。「子どもたちを守りたい、死なせたくない」。再発防止のための協力要請に、桐田は夫の康需(53)と共に応じる決意をする。「明日香なら、大切な友達を守りたいと思うのではないか」。そう考えたからだ。
 原因究明と対応策に一緒に取り組んだ。教職員に心停止の兆候を示す危険な呼吸やけいれんの知識はなく、AEDへの理解も不足し、積極的な活用への意識もなかった。事故3カ月前に行われていた救命講習は、行動につながらなかった。
 現場の教職員らに向けた事故対応のテキストづくりが進められ、1年後の命日に完成した。名前は「ASUKAモデル」。正しい判断、行動ができるよう分かりやすく表で示し、迷った場合は胸骨圧迫とAEDの使用の開始も明記した。さいたま市は全ての公立の小中高校で、AED使用方法などを学ぶ救命講習も実施している。
 桐田と桐淵が13年から始めた全国での講演は50回を超えた。桐淵は、AEDで子どもや教職員が助かった学校での例を紹介し「明日香さんは助けられなかったが、明日香さんのおかげで助かった命がある」と勇気を持って使う重要性を訴える。
 「救命救急にはスキルとマインドが必要。講習で得たスキルを生かすため、私たちの経験を伝え、勇気を出して行動するマインドを耕したい」

桐田寿子の長女明日香。12月10日の誕生日に合わせて、毎年サイパンに家族旅行をした。2010年、小学5年の誕生日に撮影されたものが遺影となった=さいたま市
桐田寿子の長女明日香。12月10日の誕生日に合わせて、毎年サイパンに家族旅行をした。2010年、小学5年の誕生日に撮影されたものが遺影となった=さいたま市

 ▽悲しみを救う
 的場浩一郎(20)は山口県の中学生だった14年、救急救命士による授業を受け、自分と同い年の少女、明日香の事故を知った。半年後、駅伝大会に出場した際に男性が倒れている現場に遭遇、近くのスポーツ施設からAEDを運んで現場の医師に手渡した。男性の命は救われた。「あの経験から人を救う道に行くと決めた」。高校卒業後、千葉市消防局へ進み、消防士として働いている。
 桐田は、その的場をつくば市の小学校での講習に招いた。明日香の弟、真(13)も会場にいた。真は的場と交流する中で人を助ける仕事に興味を持った。今春卒業した小学校の文集には「大切な人を守れるように、今できることをしっかりと取り組みたい」と書いた。
 生前、「大切なものは『家族と友達』、幸せなことは『私が生まれたこと』」と記した明日香。その死を起点に救命のための輪が広がっていく。
 桐田は長年続けた看護師をやめ、これからは家族との時間やASUKAモデルの普及活動に軸を置く。「目の前で倒れている人を救う行動はただ1人を助けるだけではなく、その人を大切に思う人たちの悲しみも救う。悲しみの連鎖を断ち切り、安全な学校、社会をつくる希望につなげたい」(敬称略、文、写真・播磨宏子)

教育現場でも広く導入

さいたま市
さいたま市

 AEDは、自動で心臓の状態を判断し、必要な場合は電気ショックを与え、正常な状態に戻す機能を持つ小型の装置。1990年代の導入当初は医療従事者用だったが、2002年の高円宮さまの急逝でAEDに対する注目が高まり、04年7月からは一般の使用も可能となった。
 教育現場でも広く導入されるようになった。17年に改定された小中学校の学習指導要領の解説は、AEDの使用について中学生は「必要に応じて触れる」から「実習を通してできるようにする」と一歩踏み込んだ内容に。20年度からは一部の小学生用教材で「ASUKAモデル」が採用されることになっている

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