メニュー 閉じる メニュー
社会

社会

ときを結ぶ

継承という言葉に象徴される年に、人が、ものが、記憶が連なるさまに目を凝らし、その声や物音に耳をそばだててみる。祖母の思いを継ぐ女性宮司、DNA鑑定で特定される戦没者、作家の精神を伝える遺族、網の目に広がる家系図を持つ潜伏キリシタン。明治、大正、昭和、平成、そして令和へ、悠久の「とき」を結ぶ旅に出る。

「ときを結ぶ」(19) 「薩摩琵琶」

2019.10.19 17:49 共同通信

西南戦争で聴いた魂の音 
  東京で製作、140年 「復活」助け恩返し 

 西南戦争の終焉が近づいていた1877年9月23日夜。鹿児島の城山に立てこもる西郷隆盛の陣営で、若い軍医が薩摩琵琶を弾いた。哀調を帯びた音は包囲する官軍の陣営にも届く。24日未明、総攻撃が始まり、城山は陥落。西郷は自刃した。
 「この時に演奏した琵琶は木枯(こがらし)という銘で、今も鹿児島県に残っています」。埼玉県坂戸市の工房で琵琶を製作する石田克佳(52)が説明する。克佳の曽祖父義雄は官軍の兵士として西南戦争に従軍していた。「城山かどうかは分からないが、敵陣で弾く琵琶を聴いて感動したようです」
 薩摩琵琶に魅了された義雄は鹿児島から職人を東京に呼び、西南戦争の翌年、神田で石田琵琶店を開業。「石田不識(ふしき)」の号で製作を始めた。
 ▽独特の余韻
 薩摩琵琶は、戦国時代の武将島津忠良が士気を鼓舞するため教訓的な歌詞を作り、盲僧が曲を付けたのが始まり。豪壮な音が出るよう糸を押しつける柱を高くし、扇形の大きな撥で腹板をたたく独自奏法も生まれた。
 薩摩藩では、剣術の示現流とともに武士のたしなみとされた。明治維新後、東京を中心にして全国に広まる。
 義雄の琵琶作りは軌道に乗った。娘婿(二世不識)が短期間、神田の店を運営した後、息子の昇(のぼる)が三世不識として東京・虎ノ門に現在の「石田琵琶店」を開いた。
 ところが1970年、昇は急逝。昇の娘嘉子(81)の婿で大工をしていた勝雄(81)が四世不識を継ぐことになる。「大工だから琵琶の形は作れるが、本当の音がどんなものかも分からなかった」と勝雄は振り返る。
 何度作っても満足できる音が出ない。頭を抱える勝雄を助けたのが、伝統的な薩摩琵琶正派(せいは)の演奏家辻靖剛だ。戦後、日本琵琶楽協会を立ち上げ幹部となった。
 作家辻邦生の父。経営する業界紙の事務所が近くにあったため頻繁に石田琵琶店を訪れ、琵琶の音色の特長、サワリについて丁寧に教えた。サワリは糸が柱に微妙に触れて出る独特の余韻だ。
 「演奏する先生によって音の好みが違う。それを覚えるため演奏会に通ううちに、音が耳に入ってくるようになった」
 辻は弟子たちに勝雄の琵琶を買わせた。経済的援助だけでなく技量を磨かせる意味もあった。修練を積んだ勝雄は平家、筑前、雅楽の各琵琶も手がけるようになる。
 店頭に螺鈿をちりばめた琵琶が飾られている。正倉院宝物の五弦琵琶を模して製作したものだ。

年期の入った仕事場で、正倉院宝物を模して製作した琵琶を手に笑顔の四世石田不識。螺鈿などの技法を使い美しく装飾されている=東京・虎ノ門
年期の入った仕事場で、正倉院宝物を模して製作した琵琶を手に笑顔の四世石田不識。螺鈿などの技法を使い美しく装飾されている=東京・虎ノ門

 「何か楽しみを持ちたいと思って、仕事の合間に作ってみた」。螺鈿には白蝶貝と琥珀(こはく)を使った。「写真を見ながらはめ込んだ。自己流です」
 四世不識は、琵琶製作として初めて国の選定保存技術保持者となった。
 ▽10年寝かす
 克佳は学習院大を卒業後、5年間父の元で修業した。「就職に苦労しない時代。サラリーマンにも憧れたが、いずれ琵琶の仕事をするのだったら早く始めようと思った」
 幼い頃から父の仕事場で遊び、琵琶の音を絶えず耳にしていた。道具にも触れ、高校生の頃には琵琶立ての台を作った。
 埼玉に工房を設けて独立してからは、父の製作する材料も保管する。琵琶に最適なのは桑だ。伊豆諸島の御蔵島で伐採した大木を使う。「製材した木を10年以上寝かせ、自然乾燥させます」
 克佳は正派の演奏家でもある。所属する「薩摩琵琶正絃会」の公演などで舞台に出る。「琵琶の魅力は音色。魂に訴えかけるような響きがある」
 ▽発祥の地
 琵琶製作を家業にしているのは石田勝雄、克佳の父子しかいない。昔は鹿児島県に薩摩琵琶作りの名人がいたが、約10年前に最後の製作者が亡くなり、伝統が途絶えた。
 「発祥の地に薩摩琵琶作りを復活させたい」と鹿児島県の有志が2016年7月、克佳を招いて鹿児島大で講演会を開き、地元演奏家による実演も披露した。

恵谷林太郎(中央右)が2年がかりで製作した琵琶を手に、指導する石田克佳。担当教授らも熱心に聞き入った=鹿児島市の鹿児島大
恵谷林太郎(中央右)が2年がかりで製作した琵琶を手に、指導する石田克佳。担当教授らも熱心に聞き入った=鹿児島市の鹿児島大

 同大教育学部2年だった恵谷林太郎(23)がこの講演会で琵琶に魅せられ、製作を始める。「音を聴いてすごく感動した。鹿児島で作られていないのが残念だった」
 木材加工研究室に所属する恵谷は同年11月、克佳の工房を訪れ、琵琶作りの基礎を学ぶ。建築資材のケヤキなどを調達。琵琶の実物も参考にしながら完成させたが、うまく音が鳴らなかった。
 克佳は年に1、2回鹿児島県へ行き、野太刀自顕流の稽古をして、古い琵琶の修復作業をする。その合間に鹿児島大を訪れ、恵谷の指導をしてきた。胴と腹板をにかわで接着する難しい作業の時は、立ち会っている。
 4月にも訪問。柱を削ってサワリを調整した。少しずつ響きが良くなり、恵谷の顔もほころんだ。
 「鹿児島で生まれた文化が東京に残っているのは大変なことだ」と克佳は思う。「恵谷さんのように、作りたい人がいれば協力したい。それが鹿児島にお世話になった石田家の恩返しだと思っています」(敬称略、文・藤原聡、写真・藤井保政)

海舟作詞の名曲も

鹿児島市城山、鹿児島大教育学部、東京・石田琵琶店
鹿児島市城山、鹿児島大教育学部、東京・石田琵琶店

  琵琶は古代ペルシャの楽器バルバットが起源と言われ、7世紀には日本に伝わった。平家物語の伴奏で使われることで分かるように、鎮魂の楽器として知られる。
 他の邦楽の要素も取り入れた錦心流琵琶全国一水会の会長古澤史水(68)は「もともと宗教楽器だった。音や響きに霊性があるから、過去と現世を結びつける」と言う。
 上野東照宮の神楽殿で古澤が「彰義隊」を演奏した時、つむじ風が起きた。「舞台だけはまったく影響を受けず、譜面も飛ばなかった」と不思議な体験を語る。
 薩摩琵琶の名曲に「城山」がある。勝海舟が、亡くなった西郷隆盛をしのんで作詞した。

最新記事

関連記事 一覧へ