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第1部「能力至上社会を生きる」(9)ダウン症の子、私が育てる  「引き算でなく足し算で」(障害者の現場から③) 

2018.7.9 12:09
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 「おめでとう!」。2016年(平成28年)12月、実親が育てられないとして、養子縁組団体に託されたダウン症のある男児。生後間もなく遠く離れた別の夫妻の元に託された。養親仲間が玄関で拍手し、夫妻は上気した顔で男児を受け取った。

 新しい父の抱っこが慣れないのか、男児が泣きだす。妻が抱きかかえると、静かに泣きやんだ。陽光が差し込むリビングには、真新しいおもちゃが山のように置かれていた。

 それから1年。夫妻に抱きかかえられて現れた男児は、よく笑う子に育っていた。「障害の影響で鼻が詰まりやすいのか、毎晩2時間おきに起こされて」。育児のつらさを語りながらも妻はうれしそうだ。

 夫は社会人学生だった10年ほど前、卒業の課題のため2年間、東京でホームレスの話を聞いて回ったことがある。「頑張らなかったダメな人間と言われる」「モノのように扱われる」。社会が押しつける価値観に、押しつぶされそうになっている彼らの表情を、今も思い浮かべる。

 同じ団体に養子縁組の依頼をしていた別の家庭が、ダウン症があると知って受け入れを断ったと聞いた。順番でいけば次は自分。どうするかと考えた。「社会的には劣っているとされる存在。でも、それはあくまで社会の価値観ではないのか。このままでは、この子はずっとたらい回しになってしまう」。団体からの電話が鳴ったとき、夫妻は即座に承諾した。

 だが受け入れを決めた後に、ダウン症について調べてみた。知的障害がある可能性が高い。成長が遅い。能力への懸念。「できないことばかり考え始め、不安な気持ちが頭をよぎった」。将来への心配を抱えて手放した実親の気持ちが、少し分かった気がした。

 16年に相模原市で起きた障害者施設の殺傷事件からまだ日が浅かった。重度障害者を指し「役に立たない」「不幸しか生み出さない」とする被告の主張に社会のゆがみを感じ、「生産性だけで人は判断されてしまうのか」と不安は募った。

 悩んだ末に出た答えがある。「この子は能力的にはゼロ。何もできない子なのだと思うことから始めよう」。健常者の標準から引き算するのではなく、できたことを足し算で考えていこう。気持ちは少し、軽くなった。

 離乳食を食べる。立ち上がるしぐさを見せる。声を発する。普通の子には当たり前のことが、人一倍うれしい。

夫婦に託されたダウン症のある男児
夫婦に託されたダウン症のある男児

 「でも今は、家庭の中にいるからそう思えるのだろう。外に出れば、健常な子とも、障害のある子とも出会う。あれができない、これができると比較してしまうのかもしれない」

 テレビで自閉症のある人が華やかな色合いの絵を描いているのを見て、感心した。パラリンピックで活躍する障害者の姿を見て、将来この子もこういう活躍ができたらいいなと思う。「結局、高い能力に憧れているのかな」。少し複雑な表情を浮かべてこちらを見た。(敬称略)

 相模原殺傷事件 2016(平成28)年、相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が刃物で刺され死亡、職員2人を含む26人が負傷した。逮捕された元施設職員の男は「意思疎通できない人を刺した」と供述した。

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