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医療新世紀

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患者を災害から守るには 水害時の避難に教訓 「受援力」備える必要

2021.3.14 0:00
 災害で被災した医療機関で、どうすれば入院患者を守れるのか―。2018年7月、過去最大級の水害に見舞われた岡山県倉敷市の病院では、入院患者全員を丸1日で運び出した。当事者として現場で避難に携わった医師3人の証言から、経過と教訓を探った。
西日本豪雨で浸水した岡山県倉敷市の「まび記念病院」=2018年7月8日
西日本豪雨で浸水した岡山県倉敷市の「まび記念病院」=2018年7月8日

 ▽透析できない

 倉敷市真備町地区の「まび記念病院」(80床)は同月7日、床から3・4メートルの水に襲われ1階がほぼ水没。停電に加え、非常用発電機や外部電源の受け入れ設備も使えなくなった。
 村松友義院長によると同病院は地域の救急病院で、かつ、地区唯一の総合病院。高齢者が多く2日に1度の人工透析を当日受ける予定の患者もいたが、停電で装置は動かない。
 病院には住民200人余も一時身を寄せた。一夜明け、避難住民と歩ける患者は自衛隊がボートで運んだが、車いすが必要な30人近くと、ほぼ寝たきりの約25人がいた。
 昼前、災害医療の支援活動を続ける認定NPO法人ピースウィンズ・ジャパン(広島県)の稲葉基高医師らが、法人所有の水陸両用車で同病院に到着した。
 現場の混乱ぶりは一目で分かった。空調も利かず、夜は暗闇になる。高齢患者の7、8人は急を要する。そう思った稲葉さんに村松さんが言う。「今夜、もたないかもしれない」。即刻避難させたいとの思いが一致した。
 ▽地域一体で
 午後、災害派遣医療チーム(DMAT)が現場に到着。岡山大の飯田淳義医師(現岡山赤十字病院)によると「橋から北側は全域水没して湖のよう。周囲の建物が浮いて見えた」。
 DMATは避難所など各地に展開した。岡大チームは橋の上に現場指揮救護所を設営。隣り合う現地消防、自衛隊と連携したものの、多くの現場に支援関係者が行き交い、被災者の所在や救出可能なルート、手段などの情報が交錯した。飯田さんは「情報をどう集約し、共有するのかが課題として残った」と話す。
被災した「まび記念病院」の屋上に患者を運び、ヘリコプターによる救出を待つ稲葉基高医師(右端)ら=2018年7月8日、岡山県倉敷市(ピースウィンズ・ジャパン提供)
被災した「まび記念病院」の屋上に患者を運び、ヘリコプターによる救出を待つ稲葉基高医師(右端)ら=2018年7月8日、岡山県倉敷市(ピースウィンズ・ジャパン提供)

 

 一方、そのころ病院では、病状に応じて避難の優先順位を決め、稲葉さんが法人のヘリコプターを病院屋上に着陸させた。2機で交互に4往復。水が引いて自衛隊車両による救出も始まり、午後9時近く、ようやく全員の救出が完了した。
 病院の被害は大きく、診療が完全に再開したのは翌年2月。村松さんは「被災想定はあったが、身に染みて考えていなかった」と振り返る。
 同病院ではこの水害を教訓に設備を見直したり、事業継続計画(BCP)を改めたりする対策を講じた。だが村松さんは、それらよりも地域連携の重要性を痛感したという。「支援が要るのは入院患者だけでない。地域住民に関わる医療、介護、福祉関係者が一体になった準備、対策が必要だ」と力説した。
 ▽限界を知る
 一方、稲葉さんは、同病院が外部からの多様な支援を受け入れる「受援力」に優れていたと評価した。どんな危機に対してどう助けてもらうかを見極め、支援者と共に危機対応する力のことだ。
 真っ先に到着した稲葉さんらは当時、公的な支援組織ではなかった。それでも「わらにもすがる思いだった」と話す村松さんら同病院側は、稲葉さんをはじめ外部の支援を素早く、効率的に受け入れた結果、患者全員の避難が迅速に進んだ。
 どうしたら受援力が身につくのか。稲葉さんは「自施設にどんな支援組織が来る可能性があるかを知り、日頃からその関係者との連携を強化しておくべきだ」と話す。村松さんも「一民間病院でできることには限界がある。助けがなければできないことを、平時から具体的に考えておきたい」と話した。(共同=由藤庸二郎)

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