「病、それから」真山亜子さん(声優) 語りで見つけた新境地
▽「声、面白いよ」
もう舞台は無理かと落ち込んでいた時、バイト先の居酒屋でアニメ業界関係のお客さんが「君の声、面白いよ」と声優の仕事を紹介してくれました。女の人の甲高い声を「黄色い声」って言いますよね。だったら私は茶色かなっていうくらい、かわいくない声。ずっとコンプレックスでしたが、それが役に立つとは。
徐々に仕事をもらえるようになると、今度は微熱や関節炎、下血など原因不明の不調が続々と出てきました。ステロイドを飲むと良くなり、減らすと悪化する。検査の結果、クローン病とベーチェット病と認定されたのは32歳でした。どちらも難病で、腸や粘膜などに炎症が出ます。

▽助けられないかも
34歳で同じ業界の人と結婚しました。翌年、体調が安定したかなと薬をやめたら、大量の下血で入院。この時は何とか回復したんですが、2002年の春、また通院をサボって薬を飲まないでいると、仲間との宴会の後、猛烈な腹痛と下血に襲われました。
「人工肛門になるかも」と言われて手術室に入りましたが、そうならずに終了。でも麻酔から覚めて集中治療室でしばらく過ごしていると、手や足、頭までしびれてきました。腹膜炎で血圧が急低下したためで、再び全身麻酔で手術です。呼ばれた夫は医師から「助けられないかもしれません」と告げられたそうです。2度目の手術で小腸を1メートル、大腸を20センチほど切除され、おなかにストーマができました。
ストーマのショックはそれほど大きくありませんでした。でも少し落ち着いてからは、腹部に着ける装具の扱いに慣れず、便が漏れたりストーマの周囲にひどい炎症が起きたりして大変でした。詳しい看護師さんの助言を受け、少しずつ解決していきました。

▽お客さんの前で
語りを習い始めたのはストーマを造設する少し前のことです。病気で演劇の舞台は難しいとしても、やはりお客さんの前で何かやりたかったんでしょうね。朗読の一種ですが、時代ものを得意とする師匠からは「読むんじゃない。しゃべるんだ」と教わり、池波正太郎さんや山本周五郎さんの作品を語ってきました。
最近は楽器の奏者やいろいろな分野の方と共演したり、オリジナルの物語を書いてもらったりと、活動の幅が広がってきたのがうれしくて。体調が悪く、起きるのがつらい日も結構ありますが、病気がなければ語りに出合うこともなかった。人と触れ合い、元気になれるこの活動を大切にしていきたいと思います。