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医療新世紀

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「病、それから」濱田知佐さん(ソムリエ) がんは壁でなく扉だった

2018.9.25 0:00

 国際線客室乗務員からソムリエに転じ、世界での活躍を目指していた濱田知佐さん(56)は、乳がんの闘病を機に故郷・高知の魅力を再発見した。それを広める活動に情熱を傾けながら「壁と思ったがんは実は扉でした」と振り返る。

濱田知佐さん
        濱田知佐さん

 ×   ×   ×

 がんが分かったのは2004年11月。42歳でした。前年に国内有数のソムリエコンクールで優勝し、「次は日本代表になって世界一に」と意気込んでいました。

 ▽風呂場で泣く

 「何これ?」。着替え中に左胸のこりっとしたしこりに気づきました。

 すぐ東京に戻り、ワインスクールの生徒さんの紹介で大学病院で診察を受けると、さばさばした女医さんが「元気のいいがんです。真ん中にあるので(乳房)全摘出になります」と。お酒の仕事なので肝臓や胃は注意していましたが、乳がんは気にしたこともなくて。思わず「そう来たか」と口走りました。

 父ががんで胃を全摘していて、祖母も子宮を。2人とも手術後長く元気でしたから、治る病気と思っていました。でも、手術だけでは済みませんでした。脇のリンパ節に転移が幾つも見つかったんです。「再発したら完治は困難」。以前読んだ本が頭をよぎりました。

 鏡で胸を見たショックは忘れません。来てくれた母に隠れ、お風呂場で泣きました。ぶ厚い壁に囲まれた気持ちでした。

 術後はまず抗がん剤治療を8カ月。熱に浮かされ、脱毛してつらかったですが、がん細胞もきついはずと自分を励ましました。さらに放射線治療で1カ月通院しました。

 ▽高知を発信へ

 治療後、2カ月ほど実家で過ごしました。髪が抜け、カスカスの状態になった私を友達が海や山に連れ出してくれます。成人後、高知でこんなにゆっくりしたのは初めてで、自然の深さ、食材の素晴らしさに感動。母の手料理で育ったので「私の血や肉は高知でできている」と実感し、みんなが帰れる場所が欲しい、みんなに味わってほしいと漠然と考えました。

 元気になった06年から、辰巳琢郎さんのワインのテレビ番組に出演させていただきました。ワインで世界を目指す気持ちは徐々に変化し、やるべきことを模索する中で、チーズプロフェッショナル、日本酒の利き酒師、焼酎アドバイザー、野菜や水のソムリエなど、多くの資格を取りました。

 09年、高知県から東京のアンテナショップ開店の相談に乗ってほしいと頼まれます。名物のカツオのわら焼きを出すレストラン、県内の18蔵元全ての酒を提供し、内装には県産の木や和紙を使って―と私なりのイメージを提案したら「レストランはあんたがやってくれんか」と。

 それからが大変。人の採用や損益の分析、メニュー開発など病気を忘れて働き、10年8月、銀座のアンテナショップ「まるごと高知」に、土佐弁で宴会を意味する「おきゃく」を開店しました。

 ▽魂も体も元気

 四国はお遍路文化が身近です。お年寄りのものだと思っていましたが、般若心経を唱えながら歩くのはすがすがしく、魂も体も元気になる。今、四国のグルメや酒蔵、ワイナリーも巡るお遍路ツーリズムを計画中です。

 ずっと定期的に通院していましたが、手術から13年の昨年、先生に「そろそろ卒業ね」と言われました。チェックは大学病院でなく、近くのクリニックでいいと。ほっとした瞬間でした。

 がんにならなかったら、高知とこれほど深く関わることはなかったでしょう。がんが新たな扉を開いてくれ、多くの出会いに恵まれました。

(聞き手・佐久間護、写真・萩原達也)

◎濱田知佐(はまだ・ちさ)さん 1962年高知県生まれ。青山学院大卒。86年全日空入社。国際線客室乗務員の傍らソムリエの資格を取得。96年に退社後は田崎真也(たさき・しんや)ワインサロン取締役支配人としてソムリエ受験講座などを担当。現在、食と酒に関するセミナーなどで活動。

◎乳がん 乳房にできるがんで、女性のがんでは最も多く、年に約9万人が新たに診断される。40代後半から50代前半の発症が多い。早期で見つかれば生存率は高い。国は40歳以上の女性に2年に1度のマンモグラフィー検診を推奨している。

 

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