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「病、それから」樋口了一さん(シンガー・ソングライター)伝われと祈り歌い続ける 

2017.4.4 9:37
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 老いていく親の心境を歌った「手紙~親愛なる子供たちへ~」で2009年末に日本レコード大賞優秀作品賞に輝いたシンガー・ソングライターの樋口了一さん(53)。優しく柔らかな歌声が本領だが、10年前からパーキンソン病を患い、その声が時折かすれるようになった。不自由な体にも「病は心の筋力をつけるための荷物」。言葉を研ぎ澄ませ、歌い続ける。

「病、それから」樋口了一さん(シンガー・ソングライター)伝われと祈り歌い続ける
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 最初の兆候は07年の3月ごろ。パソコンのキーボードで、どうも右手が遅れるんです。例えば「ありがとう」とローマ字入力しようとして、左手でa、rまではすぐ打てても右手のiが遅い。パーキンソン病に特徴的な手の震えはなかったので、神経の病気がなかなか疑われず、診断されたのは09年。その時はショックというより、ようやく認められたという感じでした。

▽綱渡り
 08年に「手紙」をリリースし、少しずつテレビやラジオの出演も増えていた。右半身が動かしにくくなり、ステージでギターは弾けなくなりました。声帯も例外ではありません。この曲の歌い出しのように繊細な表現、僕の歌の中で最も重要な部分、自分が頼りにしているものからやられていきました。

 レコード大賞ではリハーサルで声が全く出ず、生放送前に体をほぐそうとホールの非常階段を走っていました。汗だくになってメークさんに怒られて。思えば相当な綱渡りでした。歌うことが難しいなんて、奇妙に現実味がない日々でしたね。

▽自分の言葉
 でも声が出ないのは隠しようがない。自分をさらけ出して歌ううちに、だんだん考え方が変わってきました。声は僕の生命線。やめるか、やるかしかない。声の出にくさは受け入れて、どんな形でも自分は歌を届ける通路になろうと。委ねるという感覚です。

 デビューした頃の僕は、100パーセント鼻歌みたいな、歌詞より曲こそが全てでした。そんな僕のままだったら、制限がかかった自分の歌に未来を感じられなかったでしょう。

 子どもの誕生、肉親の介護や死、東北や熊本の震災。いろいろなことがあって、今では伝われ、伝われと祈るように、一つ一つ石を置いてくるように歌うようになりました。ようやく自分の言葉を持てた。だからこの病気は、心の筋力をつけるための荷物なんだと考えるようにしています。

▽変わらない
 とはいえ正直大変ですよ。やめちまおうかって思ったこともあります。達観している自分と、デモテープすら作れずもがいている現実の自分がせめぎ合っています。

 この曲を届ける「ポストマンライブ」は240回を超えました。お客さんが2人のこともあれば、同じ病気の患者さんが来てくれることもある。立派な機材はないですが相手に伝わっていると感じられます。多くの曲が消費される今、一つの曲を大切にしてくれ、1人で歌っているわけじゃないと思わせてくれる。必要としてくれる人がいる限り届けるのが役割と考えています。手紙は相手に届いて完成ですから。

 歌うことがいいのか、病状はあまり変わっていないようです。もちろん進行は怖い。ただ、この曲が伝えようとする「不自由な体に宿る私自身は何も損なわれていない」ということは、ずっとそう思える自分でありたい。

 最近は2人の子どもにも言っています。「目の前の父ちゃんはいつか全然違ってしまうかもしれない。けれど君らを見守っている父ちゃんはずっと変わらず、ここにいるからな」って。ぴんとこないみたいですけどね。
(聞き手・服部慎也、写真・上松亮介)


◎樋口了一さん 1964年熊本市生まれ。93年にデビュー。「手紙~」の元の詩はポルトガル語。訳詞に樋口さんが曲を付けヒットした。SMAP、石川さゆりらに詩や曲を提供。昨年は熊本地震復興支援のための「小さき花の歌」の作曲も手掛けた。

◎パーキンソン病 脳内のドーパミン神経細胞が減少して起こる進行性の難病で手足のこわばりや震え、動作が遅くなるなどが主症状。50歳以降の発症が多い。根治療法は見つかっておらず、ドーパミンを補う薬で症状を抑えることが治療の柱。

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