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医療新世紀

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「病、それから」古川貞二郎さん(元官房副長官) 一瞬一瞬を大切に 激務の在任中、肺がんに

2018.2.27 11:00
 官邸事務方トップの内閣官房副長官を8年7カ月務めた古川貞二郎さん(83)。激務の在任中、肺がんの手術を受けた。「幾つになっても社会のお役に立ちたい」。政府中枢から離れた今、社会奉仕に全力投球している。
 
 
古川貞二郎さん
     古川貞二郎さん

 ×   ×   ×

 がんが見つかったのは1999年夏。官房副長官の仕事の合間に受けた健康診断がきっかけです。胸のエックス線検査の後に再検査の指示が出ました。主治医が首をかしげます。「細胞検査をしなければ分からないが、肺がんかもしれません」
 
 ▽自覚症状はなく

 翌日、国立がんセンター(現国立がん研究センター)中央病院の会議室で検査画像を見せられ、初期の肺がんと告げられました。たばこは吸わないし、自覚症状は全くありませんでした。

 以前、易(えき)の心得がある知人から「あなたに病気がある」と言われたことがあります。否定したら「周囲の人に何か病気がある」と。当時、長男の嫁が妊娠中で、おなかの子に障害の疑いがあると医師に指摘されて少し気に掛かっていました。だから孫でなく自分にがんが見つかったことを、むしろうれしく思いました。幸い、孫は極めて健やかに育ちました。
 
 ▽官舎でぐったり
 
 官房副長官は総理や官房長官を補佐する仕事です。元副総理の故後藤田正晴さんから「副長官になると血の小便が出るぞ」と言われました。確かに24時間体制の激務で、緊張の連続でした。閣議や事務次官会議、各省庁幹部との打ち合わせが頻繁にあります。午前0時を回るまで「番記者」との懇談もしました。

 多忙な日々ですが、ちょうど夏休み時期だったのを利用し、検査入院という名目で8月10日の閣議後、がんセンターに入院。翌々日に右肺の下の方にあった二つのがんを摘出しました。「3カ月前だったら、見つかっていない。逆に3カ月後なら転移していたかもしれない」と医師に言われました。ある意味、絶妙のタイミングでした。

 同月23日に退院し、昼の事務次官会議の進行役を務めました。部屋に戻ると、書類を抱えた官僚らが17人も待っていました。手術で右脇下を30センチ切ったせいか、夜に官舎に戻っても疲れで食べる気力がない。6畳間であおむけになり、ずっと天井を見ていました。

 当時、私の手術を知っていたのは小渕恵三首相や野中広務官房長官(いずれも故人)らごく一部の人だけです。官邸では病気は高度の機密ですから。仕事は手術後1日も休んでいません。「顔色が悪いね」とよく言われました。抗がん剤は使いませんでした。

 ▽2人ともがんに

 座右の銘は古里の佐賀藩の「葉隠聞書(はがくれききがき)」にある「一念一念と重ねて一生なり」です。一瞬一瞬を大事に生きる。その積み重ねが人生という意味だと受け取っています。

 官邸の懸案事項は山ほどあります。だから引きずらないことが大切です。ベストを尽くし、もしうまくいかなかったら切り替える。引きずっていたら病気になりますよ。

 現在は恩賜財団母子愛育会や日本AED(自動体外式除細動器)財団の会長など、20近い役職に就かせていただいています。がんになり、腹が据わるというか、精神的に強くなった気がします。社会奉仕は世の中から求められる限り現役です。

 健康の秘訣は毎晩の足踏み、ふくらはぎ伸ばしです。ヨガも週3回ほど。畑での野菜づくりが気晴らしです。

 2003年に副長官を辞めた後、妻(77)に私と別のがんが見つかり、手術をしました。今は再発もなく、趣味の書道や合唱に打ち込んでいます。「俺たちはがんがん夫婦だね」と言って笑っています。
 
◎古川貞二郎さん 1934年佐賀県大和町(現佐賀市)生まれ。九州大卒業後、厚生省(現厚生労働省)入省。93年に厚生事務次官に就任した。首席内閣参事官の時、昭和から平成への移行の実務を担当した。趣味は古戦場巡りや名もない古寺を訪ねること。

 

◎肺がん 気管支など肺の組織にできるがんで、男性ではがんによる死因の1位。女性は大腸がんに次ぐ2位。早期には無症状のことが多い。喫煙との関連が非常に大きく受動喫煙でもリスクが高まるため、たばこを避けるのが最大の予防法。
 
(聞き手・志田勉、写真・藤井保政)

 

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