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「病、それから」釜本美佐子さん(日本ブラインドサッカー協会代表理事) 見えなくたって縮まない 「正々堂々」に納得

2018.1.16 10:00
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 転がると音が出るボールを目の見えない選手が全速力で追い、ピッチを駆け巡るブラインドサッカー。これを日本に広める協会の代表理事、釜本美佐子さん(77)は、難病の網膜色素変性症のため69歳で失明した。だが、長い海外添乗員生活で培ったバイタリティーは衰え知らず。語学、陸上競技と挑戦を続け、弟で元サッカー日本代表の釜本邦茂氏(73)もうならせるほどだという。
釜本美佐子さん
     釜本美佐子さん

 

 ×   ×   ×

 
 海外へのあこがれは子どもの頃からありました。大阪外語大を出て百貨店の調査部に就職しましたが、やりがいのある仕事はなく、翌年退社。大学在学中に取った通訳案内業の資格を生かして日本交通公社(現JTB)と契約し、外国のお客さんのガイドを始めました。その後、会社が海外ツアー専門部を作ったのを機に、添乗員1期生に。1970年代のことです。

 海外支店など珍しい時代で、添乗員はお客さんの苦情や現地でのトラブルにただ1人で対処するのが当たり前。ずいぶん鍛えられましたね。

 ▽将来失明と予告
 
 視力はずっと1・5、見え過ぎるくらいでしたから目の病気になるとは思いませんでした。50代のある日、目に入ったごみが取れずに大学病院の眼科を訪ねたら、そこの検査で病気が分かったんです。医師から「将来は見えなくなります」と宣告されました。ただ、当時は視力も良くて、実感はありませんでした。

 この病気は進行がゆっくりで、視野の端から見えない範囲が虫食いのように広がっていきます。昨日と今日の違いは微妙ですが、1カ月前と比べればここが見えないと分かる。60歳くらいから夜見えなくなる症状も加わりました。あの頃が一番しんどかったです。
 
 その後、日本網膜色素変性症協会の会長を引き受け、世界大会を千葉県で開催しました。病気をどう受け止めるか、まだもやもやしていて、米国から来た男性患者に「あなたはどう考えている?」と聞いたら、彼に「この病気は自分たちのせいじゃない。正々堂々と生きればいいんだよ」と言われました。ああそうかと何か納得がいって、気持ちが軽くなりました。
 
 ▽不安対処のコツ
 
 見えない不安から、家に引きこもる視覚障害者がいます。不安は確かにありますが、私の対処法は中身を分析して一つ一つ解決すること。例えば、毎日の食事の支度が大変なら配食を頼む、外出が心配なら同行サービスとか、案外解決策はあるもの。目が見えなくても、縮こまる必要は全くありません。

 今は光も感じない状態ですが、ラジオ講座で中国語を勉強しています。耳だけでどこまでできるか、挑戦です。最近エスペラント語も始めました。運動も好きで東京都の障害者スポーツ大会の陸上競技に出ています。昨年は100メートルを22秒で走り、参加部門の金メダルをいただきました。今年はタイムを2秒縮めるつもり。
 
 ▽サッカーとの縁
 
 サッカーとは不思議な縁があります。弟が中学に入るとき、「野球のゴールは甲子園。サッカーならオリンピックに行けるかもね」と彼にサッカーを勧めたのは私。サッカーが大好きなんです。
 
 その弟の知名度を見込んで私に「ブラインドサッカーの協会を作りたい」と声が掛かったのは2001年。全く知らない競技でしたが、韓国に視察に行って面白さのとりこになり、翌年協会を立ち上げました。日本チームはパラリンピックで金メダルを取る目標を掲げています。ぜひ実現させ私も感動の輪に加わりたい。それが日々の健康管理の励みになっています。
 
(聞き手・吉本明美、写真・萩原達也)

 

◎釜本美佐子さん 1940年京都市生まれ。大阪外語大(現大阪大)卒。海外添乗員の草分けで140カ国余りに渡航。93年網膜色素変性症の診断を受ける。2002年日本視覚障害者サッカー協会(現日本ブラインドサッカー協会)を設立し代表理事に。

 
◎網膜色素変性症 目の奥で光を感じる網膜が徐々に傷む疾患。視野が狭まる、暗がりで物が見えにくいなどの症状から視力低下に進む例が多く、失明の恐れもある。遺伝子の変異が原因で、根治療法はない。国内の患者数は推定3万~4万人。

 

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