「病、それから」石川文洋さん(報道写真家) 「再び歩く」懸命リハビリ…心筋梗塞

2018年05月01日
共同通信共同通信

 ベトナム戦争の従軍取材で知られる報道写真家の石川文洋さん(80)は、四国遍路の途上で体に異常を覚え、長野県の自宅に戻ってから受けた心臓治療中に心筋梗塞になった。一時は心停止に陥りながら、退院後すぐに歩行リハビリを始め、88カ所の寺巡りを結願(けちがん)。今年夏には北海道から沖縄県まで、日本列島を徒歩で縦断する旅に出る。

石川文洋さん
     石川文洋さん

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 日本人ジャーナリスト15人が、ベトナム、カンボジアの戦争を取材中に死亡しましたが、うち12人は私の友人や知人でした。ベトナムのホーチミンで「解放30周年」の記念パレードを見ながら「亡くなった彼らに、現在のベトナムの姿を報告し、慰霊もしたい」と思い、四国88カ所の寺を巡る旅に出発したのです。

 ▽心臓が止まる

 2006年2月、冬の徳島県から歩き始め、春には高知県を巡り、真夏に愛媛県を旅していた時でした。ある朝、胸が痛くなりました。歩くとまた痛む。愛媛の寺を巡り終え、長野に戻りました。

 それまでも自宅で朝方に胸が痛くなることが年に数回ありましたが、少し横になれば痛みは消えました。ところが愛媛から戻った後は、夜中に胸が痛む日が1週間ほど続いたのです。病院の精密検査で、心臓の冠動脈が狭くなっていることが分かり、血管に「ステント」という筒を入れて広げる手術を受けました。

 「2日後に退院」と言われて喜んでいたら、また胸が痛みだしました。副院長が心電図を取り、担当医師も駆け付けて、脚の付け根からカテーテルを入れる緊急治療が始まったのです。
 処置の最中、「心臓が止まった!」という医師の声をはっきりと聞き、次の瞬間、意識がなくなりました。

 ▽電気ショック

 集中治療室で意識が戻ったのは、翌日の午後でした。医師の説明では、ステントを入れた所に血栓(血の塊)ができて心筋梗塞になり、血栓を吸引している時に心室細動が起きて心臓が停止したということです。

 除細動器で電気ショックを5回かけて蘇生しました。胸には四角いパッド痕が、やけどのように五つ残っていました。
 心臓の筋肉が壊死して44%しか動いていないと診断されたのですが、44%でも普通の生活ができる、ということでした。

 心筋梗塞になると、再発を恐れて運動しなくなり、うつ病になる人も多いと教えられたので、退院の翌日から復活のためのリハビリウオーキングを始めました。

 ▽「命どぅ宝」

 わが家は、長野県中部の諏訪湖を望む、標高900メートルの高台にあります。最初は自宅近くの197段の石段を少しずつ上り、1カ月で往復できるようになったのです。

 次は自宅からJR上諏訪駅までの往復4キロです。初めは下りだけ歩き、4カ月後に上りを始めました。徐々に距離を伸ばし、復路を歩き通したのは退院から半年後です。

 その後、妻と香川県から遍路を再開。88の寺すべてに参り、「こんぴらさん」と呼ばれる金刀比羅宮の1368段の石段も上り切りました。

 私は講演で「命(ぬち)どぅ宝」という沖縄の言葉を使います。命が何より大切だということですね。酒は控えめにし、無理をしなくなりました。でも、病気前と同じように歩いて、心筋梗塞になった人を元気づけたいんです。

 15年前、北海道の宗谷岬から郷里の那覇市まで、日本海側を歩いて縦断したことがあります。80歳になって、今度は主に太平洋側を歩いて、日本列島を再び縦断しようと計画を立てました。その準備のために、諏訪湖の周辺を歩いています。

(聞き手・藤原聡、写真・堀誠)

◎石川文洋(いしかわ・ぶんよう)さん 1938年沖縄県生まれ。65年から68年までベトナムに滞在し、ベトナム戦争の最前線を撮影した。カンボジアやアフガニスタンなどの戦場、沖縄の写真でも知られる。著書に「戦場カメラマン」「フォト・ストーリー 沖縄の70年」など。

◎心筋梗塞 心臓の筋肉に酸素や栄養を供給する冠動脈の血流が血栓などによって途絶え、心筋の一部が壊死する病気。合併症として心室が異常に震える心室細動が起きると、全身に血液を送れなくなり、直ちに除細動を行わないと死亡する。