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匿名、事実ゆがめる恐れ 桶川ストーカー事件で娘を失った猪野憲一さん 【実名報道 遺族は思う】(1)

2020.3.16 7:30 共同通信

 36人が亡くなった京都アニメーション放火殺人事件では、多くの遺族が実名を公表しないよう求め、被害者の氏名を報じる必要性やマスコミの取材の在り方が問われた。同じように事件や事故で突然家族を失った人たちは、どのように考えるのか。それぞれの体験を踏まえ報道への思いを5回にわたって聞いた。(第1回聞き手、共同通信=兼次亜衣子)

インタビューに答える猪野憲一さん
インタビューに答える猪野憲一さん

 

 20年前、娘の詩織(しおり)=当時(21)=は元交際相手のグループによるストーカー被害の末に殺されました。何回も嫌がらせを受け、身の危険を感じて警察に「捕まえてくれ」と訴えていた中でのことで、当初から警察への憤りを感じていました。

 報道規制が全くなくマスコミはやりたい放題で、約2カ月半、自宅周辺を埋め尽くし、家の出入りができないほどでした。詩織の葬儀に向かう時も報道の車が張り付き、正規のルートは通行できず、何度も迂回して会場にたどり着きました。

 テレビのワイドショーや週刊誌は、娘を「ブランド品を持ち厚底の靴を履く今どきの子」と面白おかしく書き立て、写真も勝手に使われました。

 殺された側が何でこんなことをされるのか、おかしいじゃないか。マスコミは権力を監視するはずなのに、警察とぐるになって娘を悪く言おうとしていると、不信感を強めました。本当のことを伝えたい思いもありましたが、「人間じゃないやつに話せるか」と、かたくなになっていました。

 一方、詩織の親友の信頼を得たり、丁寧な手紙をくれたりした記者らと出会い、心のガードは緩くなりました。実は警察は詩織の告訴をもみ消し、調書を改ざんしていた。そのうそと捜査怠慢を暴いたのは、彼らマスコミの大きな力でした。

 警察は娘の実名を発表しましたが、もし「A市のB子さん」とされていたら、私から名前を出していたと思います。B子さんで何が分かるんですか。猪野詩織という名前が出ないと、娘が大切にしてきた人とのつながりまでも消えてしまう。

 そもそも法治国家で1人の人間が無残に殺されたにもかかわらず、匿名発表でいいという世の中はおかしいです。それでは、その人に関する事実がゆがめられる危険性もある。詩織の事件のように権力側で悪事が起きていても、止める手だてがなくなってしまいます。

 最近は、警察が遺族の気持ちを代わりに発表することも多いですが、警察が全ての情報を握るのはおかしい。家族の正確な心情は、真実を伝える報道機関が書くべきではないでしょうか。ただ私もそうだったように、被害に遭い、心を閉ざす人もいます。単に「早く駆け付けて話を聞けばいい」という姿勢ではなく、取材の在り方を考える必要があるでしょう。
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 いの・けんいち 1950年、埼玉県出身。事件をきっかけに2000年、ストーカー規制法が成立。妻京子さんと全国で講演を続ける。

 桶川ストーカー殺人事件 埼玉県桶川市で1999年10月、元交際相手の男のグループから嫌がらせを受けていた大学2年猪野詩織さん=当時(21)=が刺殺された。男は指名手配後に死亡。自殺とみられる。男の兄が首謀者で、無期懲役、実行犯ら3人は懲役18~15年の判決が確定した。事件後、県警上尾署員らが詩織さんの調書を改ざんしていたことが発覚。元署員らは虚偽有印公文書作成罪などで有罪となった。