【4977】無風 山田錦 50(むかで)【岐阜県】

2022年12月06日
酒蛙酒蛙
岐阜県養老郡養老町 玉泉堂酒造
岐阜県養老郡養老町 玉泉堂酒造

【S蕎麦屋にて 全4回の④完】

 S蕎麦屋は、かけそばが絶品なうえ、蕎麦屋にしては置いている酒の種類が多い。蕎麦好き&酒好きのわたくしとしては、こたえられないシチュエーション。「新しいお酒が入りましたよ。いらっしゃい」と連絡が来たので、すみやかに暖簾をくぐった。

「吾有事」を2種類飲み「久米桜」を飲んだあと、最後にいただいたのは「無風 山田錦 50」だった。この蔵のお酒は当連載でこれまで、6種類を取り上げている。内訳は「無風」(むかで)3種類、「醴泉」2種類、「美濃菊」1種類。この連載が始まった2010年1月以前に「蘭奢待」を2種類飲んだことがある。酒名がユニークなので鮮烈に記憶している。さて、今回のお酒をいただいてみる。

 まずは冷酒で。フルーティーな上立ち香。一口目。最初、甘みがあるかな、とおもったらすぐ、辛みと渋みが来る。渋みは苦みを伴う。二口目。甘辛を感じ酸も感じる。余韻の辛みが長く続く。次第に甘辛が良く出てくるようになる。酸は奥にほのかに感じる。口当たりは、さっぱり系でありながら、ふくよか、まろやかさもある。飲み続けていっても、甘みは終始変わらない。クラシックタイプのミディアムボディー酒か。

 次に45℃の燗酒にしていただいてみる。燗にしても、ほのかなフルーティーさは感じる。口当たりは、かなりのすっきり系。味わいは甘辛ではあるが、辛みが強く出る感じ。基本は辛みと甘み。燗冷ましの温度帯になってきたら、酸と渋みがすこし出てきた。

 瓶の裏ラベルは、この酒を以下のように紹介している。「無風―――風無くば、すべて世は事もなし、酌む酒が臓腑にしみわたる。おだやかな香り、奥深い旨味、やさしい喉ごし、五割磨きの上質な味わいがもたらす余韻に身をゆだね、明日の良き日を祈り乾杯」
 
 また、蔵のホームページはこの酒を以下のように紹介している。「山田錦を50%まで磨き、奥深い旨味を体現しました。しっとりとしたやわらかな口当たりは上質な食中酒として冷燗問わず、おすすめです」

 裏ラベルのスペック表示は「原料米 山田錦100%使用、精米歩合50%、日本酒度+3、酸度1.3、アミノ酸度1.4、アルコール分15度以上16度未満、原材料名 米(国産)米こうじ(国産米)、製造年月22.8」。

 ここで疑問を感じた。このスペックだと特定名称の表示は「純米大吟醸」のはずだ。しかし、特定名称酒の表示が無く、普通酒扱いだ。こういうケースは一般的に、2つの理由がある。➊飲み手に先入観を持たず飲んでもらおう、とあえて特定名称酒の表示をしない“上から目線的”なケース ➋原料米に等外米(規格外米)を使用しているため特定名称酒を名乗れず、普通種扱いのケース。

 瓶のラベルには理由が記されていないが、「取手の地酒や 中村酒店」のホームページを見たら、理由が➋であることを以下のように明らかにしている。

「粒が小さいというだけで等級検査の規格外となってしまった等外米の山田錦を使用し、お手頃な価格を実現しました。等外米といえど病害米や砕米は一切使用しておらず、粒は小さくとも高品質な山田錦の全粒米のみで大吟醸クラスの50%精米にかけ、手間をかけて醸し上げました」

 コメの生産過程で5~10%の等外米(規格外米)が出る、といわれている。生産者の技術的な部分もあるが、等外米が発生するのは仕方のないことだ。しかし、等外米を使って酒を醸すと、特定名称酒(大吟醸や純米など)を名乗れず、普通酒扱いになる。販売価格がかなり安くなる。このため、等外米は酒造に使われないできた。しかし、それだと農家が可愛そうで、持続可能な農業のためには等外米を酒造に使用すべきだ、という動きが酒造業界で出始めている。わたくしは、このムーブメントに大きな賛意をあらわすものである。今回のお酒もその一環で、極めて好ましいとおもう。

 さて、酒名がなぜムカデなのか。蔵のホームページは、その理由を以下のように説明している。

「田舎では身近な虫ですが、ムカデは嫌われ者の毒虫です。でも、勇敢な姿態が戦国武将に好まれて旗指物の絵柄にされたり、強壮薬として酒に漬けられたりします。また、産んだ卵を抱いて守るという、虫けららしからぬ意外な生態も知られています。そんなムカデをモチーフにした斬新なラベルに、手間暇かけて醸した上質な酒を詰めました。見て笑顔、買って笑顔、飲んで笑顔、そんな楽しいひと時をあなたの人生に刻みたいと願っています」

 ムカデの旗指物についてウェブサイト「刀剣ワールド」は、以下のように説明している。

「武田信玄の旗指物としてよく知られる百足(ムカデ)の旗は、武田軍の伝令部隊である『百足衆(むかでしゅう)』が用いたと言われています。前進するのみで後退しないという百足の習性から、百足は武将たちの間で武勇の象徴とされており、百足衆に選ばれることは武田軍の中でもたいへん名誉なことでした」