【『小さな恋のメロディ』50年後の会見記(4)】 鋭い切っ先を持つ物語、「若葉のころ」が出発点


映画「小さな恋のメロディ」の大ファンでエッセイスト澤田康彦さんが、50年の時を超えて来日した主演俳優2人を京都市で迎えた会見記の第4回。
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この物語は音楽が先にあって作られた?
マーク・レスター「製作のデビッド・パットナムがビー・ジーズの何曲かの権利を買って、映画に織り込みたかった。脚本家のアラン・パーカーがそれを基に男の子2人と女の子の物語を書いた」。トレーシー・ハイド「音楽が物語を作り、映画が音楽を輝かせたの」。

脚本家はかつてこう語った。「『若葉のころ』の歌詞が出発点だった。『ぼくが小さくてクリスマスツリーが大きかった頃、ぼくらは恋をした。ほかの子が遊んでる間に』」。映画のための楽曲のようにぴったりなのはパーカーの創造力によるものだ。
お気に入りの1曲は? マークは「メロディ・フェア」。トレーシー「『若葉のころ』は亡くなった父が好きで何度も聴いていた。でもどの歌も家族と過ごしたあの頃や、撮影現場の匂いを思い出させる」。

スタッフも若かった。「多くは30歳前後の広告やテレビ関係者で映画は初めて。若さが生んだ挑戦的な作品です」とトレーシー。
マーク「純粋さ、無邪気さ、そして自由がある。あの時代に欲しかったもの」。

同じ恋の物語でも「ロミオとジュリエット」「フレンズ/ポールとミシェル」のカップルよりさらに若かった。しかも悲恋ではなく未来につながる恋。画面は明るかった。
明るかったが、甘いだけではない。階級差を超える話であり、駆け落ち=反逆の物語であり、鋭い切っ先を持っていた。「俺たちに明日はない」「イージー・ライダー」「いちご白書」…数々の若者の反体制映画の先に軽やかに立つ1971年の作品だ。
パットナムは語る。「世の中はもうメチャクチャだ。ぼくたちがこの世界を救うには遅すぎる。次の世代に期待をつなぐしか他に道は残されていない」(小説版「小さな恋のメロディ」の訳者桐山洋一による後書き/ハヤカワ文庫)。
今も人気が色あせないのはその精神に魅せられるからか。ラストで流れるCSN&Y「ティーチ・ユア・チルドレン」は親と子どもへの励ましの歌。「ひどい時はゆっくりと過ぎ去ってゆくよ」(エッセイスト)

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【筆者略歴】さわだ・やすひこ 1957年滋賀県生まれ。上智大卒業後にマガジンハウスに入社し、雑誌「ブルータス」などの編集を担当。「暮しの手帖」編集長も務めた。著書に「ばら色の京都 あま色の東京」「いくつもの空の下で」。
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