(23)スリランカ 自責の念、真相求める母 日本へ留学した長女の死 働き続け、気持ち紛らわす

スリランカ最大都市コロンボ郊外。ココナツなどの木に囲まれた白壁の一軒家に住むイランダーリ・デーワ・スリヤラタ(55)は、自責の念にさいなまれ続けている。夫の遺言を守らずに自宅と土地を担保に借金し、長女を日本に留学させた。約4年後の2021年3月、長女は日本で帰らぬ人となった。33歳の若さだった。
「住む場所さえあれば生きていける。貧しくとも家を抵当に入れてはいけない」。病床の夫が語った言葉が繰り返し頭をよぎる。「もし守っていれば」。眠っていても長女のことを思い目が覚める。ほかの家族に悟られないよう、隠れて泣く日々を過ごしている。

▽鉄の女
夫に代わってスリヤラタは、プラスチックのリサイクル工場に勤務した。だが、重労働は歩けなくなるほど膝の状態を悪化させ、現在は自宅近くの幹線道路沿いにある食堂で働く。
食堂の主力は朝食用のおかゆだ。仏教徒が多数派を占めるスリランカらしく、日の出前の午前4時ごろから僧侶に無料で食料を提供している。調理や掃除を担当するスリヤラタは午前2時に出勤し、10時まで作業を続ける。いったん自宅で休憩し、さらに午後5時から10時まで働く。週末も休むことはない。
自宅では、客が食べ物を持ち帰るための紙袋を作る内職もしている。「お金にはほとんどならない」。それでも、定規を使って素材の紙を折り曲げたり、のりを貼り付けたりしながら、紙袋を手際よく仕上げる。
借金は返しきれておらず、高齢の母らの生活を支えなくてはならない。睡眠時間を削って働くスリヤラタの姿を、近所の人々は「鉄の女」と呼び、その意志の強さをたたえた。
だが、スリヤラタの胸中は違っていた。「娘のことを思い出して、ふさぎ込む時間をつくりたくない」。それが長時間働き続ける最大の理由だった。
▽甘えん坊
スリヤラタは、港湾都市として古くから栄え、観光地としても知られる南部ゴールで生まれた。結婚し、長女が生まれて8カ月が過ぎたころ、100キロほど離れたコロンボ郊外に移り住んだ。
自宅は小さな部屋が一つあるだけで、キッチンすらなかった。衣類と収納用の段ボール、炊事などに使うランタン。それが家財道具の全てだった。貧しく、ゼロからのスタートだった。
努力家の夫は理容師として懸命に働き、やがて生活は軌道に乗った。長女の誕生から5年後に次女、さらに2年後には三女が生まれた。子どもの教育にかかる費用は夫が稼ぎ、家を建て増すこともできた。スリヤラタは育児と家事に専念し、満ち足りた時間を送った。
長女は、3姉妹の中で最も母の愛情を求める「甘えん坊」だった。スリヤラタが覚えていることがある。次女が母乳を飲む様子を見た長女が「私も飲みたい」とせがんだのだ。「妹がかわいそうでしょう」と説得したが、長女は「妹には秘密にする」とせがみ続けた。スリヤラタは根負けし、長女は7歳まで母乳を飲んだ。
▽思い出
日本で英語教師として働くのが夢だった長女は、日本への留学を目指していた。だが、スリヤラタは反対だった。夫が13年に他界し、毎月の収入は3万ルピー(約1万1500円)ほど。留学させるには業者に払う150万ルピーのほか、日本での生活費など70万ルピーが必要で、願いをかなえるには借金しかなかった。
「日本で成功してお母さんに王宮みたいな家を造ってあげる」。スリヤラタは悩んだが「安全でいい国だから」と自らに言い聞かせて、留学を許した。だが、長女は二度と戻ってくることはなかった。

21年3月8日、地元警察からスリヤラタに連絡があり、長女が日本で死亡したことを伝えられた。「病気で死んだ」。スリランカ外務省の担当者はそう話したが、詳しい説明はなかった。新型コロナウイルスの感染拡大で往来が制限され、すぐに日本へ行くこともできなかった。
なぜ娘は死んだのか。真相を知りたい気持ちが消えることはない。今年3月、一周忌に合わせて自宅のリビングに長女と夫の遺影を飾った。だが家族にとっては精神的な負担が大きく、普段は置かないようにしている。
スリヤラタは仕事に疲れると、長女が使っていた寝室で休息を取る。壁には長女の描いたディズニーのキャラクターが残され、タンスにはお気に入りの服が収められたままだ。娘たちと暮らしてきた自宅は、長女の思い出が染みついている。
スリヤラタは、涙をこらえながら長女の服を握りしめた。長女のウィシュマ・サンダマリは、名古屋出入国在留管理局の施設に収容中、死亡した。体調不良を訴えていたが、一時的に収容を解く仮放免は認められなかった。1年余りが過ぎても、死因は特定されていないままだ。(敬称略、文と写真・高司翔一郎)
◎取材後記「記者ノートから」
娘が命を失った国から来た記者のことを家族はどう思うだろう。「日本人としてどんな顔をして訪問すればいいのか」。そんなことを考えていると、スリヤラタから「昼ご飯を一緒にいかが」との誘いが届き、気持ちが少し楽になった。
約束の日、スリヤラタはエビや魚、野菜、ココナツをふんだんに使った家庭料理を何種類も作って、次女らと一緒に温かく出迎えてくれた。
自宅には、ウィシュマが生まれたころから撮りためた写真が大事に保管されていた。楽しい思い出話も尽きなかった。だが同時に、スリヤラタは何度も涙を流した。
日本に伝えたいことを聞くと、スリヤラタらはこう答えた。「自分の家族や愛する人に同じことが起きたらどう思うか。ぜひ考えてほしい」(敬称略)
文と写真は共同通信ニューデリー支局長。年齢は2022年12月1日現在。