(22)ロシア、日本  強権に嫌気、危険冒し海へ 北方領土から北海道目指す   ウクライナ侵攻、胸痛める

2022年12月01日
共同通信共同通信

 空が白みかけてきた。雨は降っておらず、波もそれほど高くはない。「もう引き返すことはできない」。2021年8月18日早朝。ワースフェニックス・ノカルド(40)は、野宿をしていた北方領土・国後島南部の海岸で目を覚ますと、ウエットスーツに着替えて海に入った。肩かけの防水かばんには、3万円の日本円やスマートフォン、衣類などが入っていた。


 コンパスを手に西へと泳ぎ、北海道を目指す。ロシア国境警備局の監視艇が見えたが、気付かれなかった。「潮に乗れば半日で野付半島に着くはず」。だが、夜になっても陸地に近づかない。「体温は下がり、いつサメやシャチに襲われるかわからなかった」。海面に浮かびながら、何度も死を意識した。

 

 約20キロ離れた標津町の海岸にたどりついたのは19日午前4時ごろ。23時間がたっていた。「生き延びた」。海水を飲んだせいか、のどに焼けるような痛みを感じた。

 

北海道標津町から見えた北方領土・国後島(奥)。ノカルドは1日近くかけて約20㌔離れた同町の海岸にたどりついたという=2022年4月
北海道標津町から見えた北方領土・国後島(奥)。ノカルドは1日近くかけて約20㌔離れた同町の海岸にたどりついたという=2022年4月

 

 ▽監視

 

 その10日ほど前、ノカルドは自宅に保管していたパスポートがなくなっていることに気付いた。持ち出した心当たりはない。連邦保安局(FSB)の仕業ではないか。疑念は怒りへと変わった。


 17年6月、古里のロシア中部イジェフスクから国後島南部へ移住した。国民に無償で極東の土地1ヘクタールを与える制度に応募し、商店などで働いた。だが、日々の生活はFSBに監視されていた。

 

 「国後島に着いたその日に、夜まで取り調べを受けた。ウラジミールという男が担当で、時々呼び出されては日常のことを聞かれた」。ノカルドは以前、プーチン大統領の批判を続ける反体制派ナワリヌイ氏の集会に参加していた。周囲にも、プーチンの強権体制を公然と批判していた。そうした言動を、FSBは見逃さなかった。

 

 国後島へ渡ったのは「人生を大きく変えたかったからだ」と言う。幼いころから空手や合気道を通じて日本に関心を持ち、日本語も学んだ。国後島に住めば、日本の査証取得を必要としない「ビザなし交流」に参加できると考えた。だが、新型コロナウイルス禍で交流は停止された。

 

 落胆したが、欧州に行くことを計画している最中に、パスポートが消えた。「出口がふさがれたような気持ちになった」。ロシアから今すぐに離れたい。抑えきれない思いが、日本への脱出を決意させた。

 

 ▽失望

 

 将来は宇宙飛行士かパイロットになるのが夢だった。だが、1991年のソ連崩壊で政治は混迷し、経済も困窮した。夢を口にする余裕もなかった。「1日の食事がパン一切れということもあった。毎日が飢えていた」。絶望感と閉塞(へいそく)感の中で10代を過ごした。


 2000年、プーチンが大統領に就任すると、状況は変わった。原油高の追い風に乗って経済が成長し、暮らしは上向いた。開放感を味わい、プーチンには好印象を抱いた。しかし、それは長続きしなかった。

 

 地元の大学を卒業後、通信会社や保険会社で働いたが、政権に批判的なテレビ局や新聞社への弾圧を目の当たりにし、恐怖を感じた。10年代に入ると経済は停滞し、期待は失望に変わった。

 

 14年からウクライナ東部で続く親ロシア武装勢力とウクライナ軍の紛争では、生活苦から義勇兵に参加する人が数多くいたという。ノカルドも「働きに行かないか」と誘われた。1万ドル(約130万円)の月給がもらえるとのうわさだった。

 

 イデオロギーや戦争には関わりたくない。国内でプーチンの人気が高いのが不思議だった。「自分の居場所はどこにあるのか」。人生の行く先には霧が立ち込めていた。

 

 ▽迷い

 

 北海道警に保護されたノカルドは、入管施設に収容された後に難民認定を申請した。昨年10月に仮放免されてから、支援者からの助けを借り、ある都市で暮らしている。慣れない生活だが、危険を冒して日本に渡った決断は「正しかった」と信じている。

 

 

国後島から日本に渡ってきたノカルド。誰も知り合いのいない異国の地で、支援者の手を借りて生活を送っている。「自分の国のことを愛しているが、プーチン政権下では戻りたくない」と語った=本人の希望により撮影場所は非公表、2022年4月
国後島から日本に渡ってきたノカルド。誰も知り合いのいない異国の地で、支援者の手を借りて生活を送っている。「自分の国のことを愛しているが、プーチン政権下では戻りたくない」と語った=本人の希望により撮影場所は非公表、2022年4月

 

 今年2月のロシアによるウクライナ侵攻は、通信アプリ「テレグラム」で知った。「予想されていたことで驚かなかった」と冷静だが、両国の若者たちが戦場で向き合う現実に胸を痛める。「戦争を始めたプーチンの判断は間違いだ」。ノカルドは語気を強めた。

 

 だが、迷いもある。インターネットでロシアやウクライナ、欧米からの情報を集めているうちに「プロパガンダやうそが飛び交い、何を信じていいのかわからなくなった」と、心中を打ち明ける。

 

 

 

 

  

 

  「誰にも邪魔されず、穏やかに暮らしたい」。それがノカルドの望みだ。日本の難民認定率の低さから「日本に住みたいが、希望は大きくない」と不安も口にする。「ロシアの状況が変われば帰ることもあるだろうが、プーチンの下ではまったく考えられない」。決死の覚悟で海を泳いだノカルドのもがきは、まだ終わっていない。(敬称略、文・佐藤大介、写真・小崎一記、仙石高記)

 

◎取材後記「記者ノートから」

 

 ワースフェニックス・ノカルドが上陸した北海道標津町には、港近くに「北方領土館」が立っている。北方領土の歴史や返還要求運動の歩み、ビザなし交流の記録などが展示されているが、2階の展望スペースには望遠鏡が置かれていた。
 晴れた日には北方領土・国後島の島影が、はっきりと浮かび上がる。望遠鏡でのぞくと、山の木々や点在する建物が見えるほどだ。標津町から国後島までの距離は約20キロと、目と鼻の先にある。
 だが、ロシアのウクライナ侵攻によって日ロ関係は停滞し、北方領土交渉の扉は閉ざされた。「交流もなくなり、近くにあっても遠い島になってしまった」。町内に住む60歳代の女性は、そうつぶやいた。ノカルドが泳いだ根室海峡には、巨大な「見えない壁」がそびえている。(敬称略)

  

  筆者は共同通信編集委員、写真は共同通信写真部員。年齢は2022年12月1日現在。