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汐留鉄道倶楽部

鉄道発祥の地、東京・汐留にある共同通信社の記者、カメラマンが書いた鉄道コラムのコーナーです。リニア、新幹線からSL、路面電車まで幅広く取り上げます。鉄道ファンの熱い思いをお届けします。

軍事施設が住民の足に 

2017.11.17 11:00
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新津田沼駅を出てすぐの急カーブを走る新京成線の電車
新津田沼駅を出てすぐの急カーブを走る新京成線の電車

 千葉県松戸市の松戸駅と習志野市の京成津田沼駅を結ぶ新京成電鉄新京成線は、カーブが多いことで知られている。クネクネしている理由は、他路線のように地形や用地といった地理的な制約ではなく、その成り立ちにあった。

 時代は戦前にさかのぼる。当時の日本は“本土”だけでなく海外の占領した土地でも、物資や人の輸送に鉄道を活用した。当然、軍隊も鉄道に力を入れ、陸軍の鉄道連隊という組織が、海外での鉄道路線の建設と列車の運行を担った。鉄道連隊に所属する兵隊は国内で訓練を受けていた。

 その一つ、鉄道第二連隊が現在の新津田沼駅(新京成線)付近にあり、演習用の鉄道路線を建設して実際に列車を走らせていた。演習線の目的はあくまでも軍事演習だったため、敷設する路線の距離をより長くしようと、あえて直線とせずに蛇行させたといわれている。

 戦後になって演習線の軌道跡は払い下げられ、今の新京成線に整備されて住民の足になった。といっても全路線をそのまま旅客化すれば、あまりにもグニャグニャな路線になってしまうので、一部の区間は新しく建設し直した。

 使われなくなった廃線跡など、演習線の名残をとどめるスポットが今もある。JR津田沼駅から徒歩数分に位置する新京成線の新津田沼駅。駅ビルとバス通りをはさんで向かい側の公園には、小さな蒸気機関車(SL)が展示されている。

 看板によると、このSLは「K2形134号」といって演習線を走っていた。西武鉄道に払い下げられ、現役を引退してから同社の遊園地「ユネスコ村」(埼玉県所沢市)に保存されていたが、閉園に伴って“里帰り”した。

 公園では親子連れが遊び、お年寄りやサラリーマンがくつろいでいた。小さな子どもがSLを指さして「ぽっぽ、ぽっぽ」と笑った。よもやこのSLが戦争の産物だなんて、誰も思わないだろう。

 新津田沼駅から新京成線に乗ると、発車してすぐ急カーブに差し掛かった。「キッ、キッ、キーン」や「グォ、グォ、グォ、グォ~」というカーブ特有の音が車内に響いた。たしかにカーブが多い。演習線当時のSL列車に乗ったら、どのように感じるのだろうか。などと考えながら10分ぐらい乗っていると、いつの間にか直線区間になっていた。

(上)新津田沼駅の近くの公園で展示されている蒸気機関車、(下)千葉県鎌ケ谷市の公園に残る演習線の橋脚
(上)新津田沼駅の近くの公園で展示されている蒸気機関車、(下)千葉県鎌ケ谷市の公園に残る演習線の橋脚

 電車に揺られて約15分、お散歩系のバラエティー番組でおなじみの鎌ケ谷大仏駅(鎌ケ谷市)で下車した。ホームから遥か彼方に、1駅手前の二和向台駅が見えた。それほどまっすぐな線路で、数キロ離れた場所には演習線の遺構がある。つまり、この区間ではグニャグニャの演習線跡を利用せず、直線の路線を建設し直したことを示している。

 鎌ケ谷大仏駅から歩いて道に迷うこと約40分、ようやくお目当ての場所にたどり着いた。鎌ケ谷市東道野辺の「アカシヤ児童遊園」には、演習線の橋脚4本が残っていた。静かな住宅街に立つコンクリートは場違いに感じられ、「建設を中断した道路の廃墟」と言われれば信じてしまいそうだ。

 わざわざ橋を造らなくても、地面を走らせればいいのにと思う程度の高さだが、これも演習のためだったのだろう。写真には橋脚が2本しか写っていないが、巨木の向こうに残りの2本が立っている。まるで線路の行く手を阻むように成長した樹木の大きさが、時の流れを語っていた。

 ☆寺尾敦史(てらお・あつし)共同通信社映像音声部

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