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汐留鉄道倶楽部

鉄道発祥の地、東京・汐留にある共同通信社の記者、カメラマンが書いた鉄道コラムのコーナーです。リニア、新幹線からSL、路面電車まで幅広く取り上げます。鉄道ファンの熱い思いをお届けします。

廃線55年目の北軽井沢駅 

2017.10.6 11:00
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(上)国の登録有形文化財「北軽井沢駅舎」、(下)実物大の機関車の木製模型
(上)国の登録有形文化財「北軽井沢駅舎」、(下)実物大の機関車の木製模型

 長かった夏にようやくピリオドを打ってくれそうな秋風がそよぎ出した9月初め、家族で軽井沢に泊まる機会があった。軽井沢といっても観光客で賑わう北陸新幹線の軽井沢駅から北にひと山越えた、群馬県長野原町の「北軽井沢」という浅間山の麓に広がる別荘地のホテルだった。

 別荘地中央の一角に「きたかるいざわ」と駅名標を掲げた、小ぶりながらも重厚感ある和風の意匠の駅舎がでんと構えていた。「そんな駅あったっけ?」と疑問に思うのもそのはず。1915(大正4)年の部分開通から太平洋戦争を挟んで1962(昭和37)年の全線廃止まで、新軽井沢(国鉄軽井沢駅前)と草津温泉を結び多くの湯治客を運んでいた軽便鉄道「草軽電鉄」で使われた本物の駅舎だった。

 廃止からすでに55年。沿線の遺構はほとんど消えてしまったが、この駅舎だけは地域の人たちが丁寧に手をかけ、2006年には国の登録有形文化財となった。

 駅舎前に再現された線路には、横から見たL字形がユニークで「カブトムシ」の愛称で親しまれた電気機関車「デキ12形」が横付けされている。「よくぞ今まで残ったものだ」と感心して近づくと、実は素材は木材で、黒く塗装された実物大の模型だった。

 地元の男性は「鉄で復元するには10倍も費用がかかるっていうんでね」と、申し訳なさそうな表情をしたが、出来栄えはたいしたもの。お世辞ではなく「立派ですよ」と申し上げた。

 よく見ると運転席が狭い。これでは行き帰りで運転士はどう向きを変えるのだろうかと思ったら、なんと運転士は横向きに座って運転、進行方向に首を向けるだけだった。

(上)駅舎に掲げた「きたかるいざわ」の駅標、(下)北軽井沢地区から見た浅間山の山容
(上)駅舎に掲げた「きたかるいざわ」の駅標、(下)北軽井沢地区から見た浅間山の山容

 世界に名の知れた避暑地・軽井沢と草津温泉。日本を代表する観光地を結ぶ鉄道が、なぜ早くに廃止の憂き目にあったのか。それは線形に大きな理由があったと思う。

 沿線はそれなりの山岳地帯。ところが、建設費を節約してトンネルは一つもなかった。その代わり延々と等高線に沿って最大勾配40パーミルの上り下り。連続する急カーブも多く、全長55・5キロと、レール幅762ミリの軽便鉄道としては異例の長大鉄道になってしまった。国鉄長野原線(現JR吾妻線)が草津温泉の近くまで通るようになると乗客を奪われ、頻発した台風被害を引き金に廃線となった。

 地元の人が大切にしてきた北軽井沢駅舎は、資料館として、ギャラリーとして、休憩所として今も使われている。「駅前」から東京・渋谷へ4時間弱で直結する高速バスが1日3往復走っている。

 ☆共同通信・篠原啓一

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