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日本酒津々浦々

日本全国津々浦々のさまざまな日本酒のコラムです。

【3942】東白菊 城址宴 特別純米(あずましらぎく)【埼玉県】

2019.8.31 14:10
埼玉県深谷市 藤橋藤三郎商店
埼玉県深谷市 藤橋藤三郎商店

【日本酒研究会月例会 全6回の②】

 異業種間の日本酒研究会。単なる飲み会だが、ちょっと気どって研究会だ。足掛け13年目に突入した超長寿飲み会。M居酒屋で毎月開いてきたが、この間、一度も休まず飲んできた。みなさん、なんと研究熱心なことか。今回は5人での月例会となった。

 店主が最初に持ってきたのは「晴菊 特別純米」で、持ってくるとき店主が「きょうは、みなさんに、埼玉県の初蔵酒を2種類お出しします」と高らかに宣言。一同、「お~~~っ、素晴らしい」と歓喜の拍手。2番目も埼玉県初蔵酒の「東白菊 城址宴 特別純米」だった。以前、メンバーのJが、日本の全現役蔵の酒を飲もうじゃないか、と提案。これに店主が賛同、わたくしたちが飲んだことのない蔵の酒をあちこちから探して出してくれているのだ。ありがたい。感謝感激だ。さて、聞くのも見るのも初めてのお酒をいただいてみる。

 酒蛙「飲み口も味わいも、直前に飲んだ『晴菊』にかなり似ているね」
 Y 「うん、似ている。昭和レトロ的熟成感的クラシカル香味が少しいる」
 酒蛙「たしかにクラシカル香味を感じる。旨みがややすくなく、さっぱりした口当たり。酸は適度に出ている。この酸が全体のバランスを良く保っている。酸は直前に飲んだ『晴菊』の方が多く出ている。淡麗系のやや辛口酒だ」

 蔵のホームページは、この酒を以下のように紹介している。「純米酒特有のなめらかでコクのある旨味が口中に広がる優雅な味わいです。燗、ぬる燗、常温又は冷やしてお召し上がり下さい」

 瓶の表ラベルの表示は「アルコール分15度、精米歩合60%、原材料名 米(国産)米こうじ(国産米)、製造年月19.7」。また裏ラベルにはこのほか、以下の表示がされている。「日本酒度+2前後、お召し上がり方:常温 冷や お燗で」。使用米の品種名が非開示なのは残念だ。

 酒名「東白菊」の由来について、蔵のホームページは以下のように説明している。「代表銘柄の『東白菊』は関東の東(あずま)に酒の清らかさを白、清酒の香りを菊で表現しております」

 ところで、酒名「城址宴」に、メンバーみんなが「ん? 深谷に城があったっけ?」とハテママーク。そこで以下に、ウィキペディアの説明文を貼り付ける。

「(深谷城は)康正2年(1456年)に深谷上杉氏の上杉房顕が台地の北端部付近に築いたものである。 天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐で開城するまで、深谷上杉氏の居城であったが、徳川家康の関東入部に伴い、長沢松平家の松平康直が1万石で入城した。
 その後、家康の七男松千代、兄の六男忠輝が継いだ。しかし、忠輝は慶長7年(1602年)に下総佐倉へ転封となり、慶長15年(1610年)に桜井松平氏の松平忠重が入封したが(『寛永諸家系図伝 第一』 続群書類従完成会、によれば、「8千石を領ず」と記される)、元和8年(1622年)上総国佐貫へ移封された。
 その後酒井忠勝が1万石を領有して入封したが(『寛永諸家系図伝 第一』に、「7千石を加えて給わって、深谷城を領ず」とある)、寛永4年(1627年)に武蔵国川越へ移封となり、深谷藩は廃藩となり、寛永11年(1634年)に廃城となった。
 現在は、城址公園として整備されているが、遺構は残っていない。模擬石垣・塀・堀が造られている。ただし、隣接する富士浅間神社の周囲に外堀跡が残っている」

酒蛙

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