メニュー 閉じる
文化

文化

ニッポンのGOHAN

全国の新聞社スタッフの食べ歩きブログ。グルメ情報誌に載っていない隠れた郷土料理や意外な日常食、おもしろい食べ方などが満載!

ルーツは黄門さま! 水戸藩ラーメン

2007.6.25 10:03
堂々たる薬膳料理「水戸藩ラーメン」
堂々たる薬膳料理「水戸藩ラーメン」

 水戸市内を車で走っていると、時おり「水戸藩らーめん」と書かれた幟(のぼり)の立っているラーメン店があります。そのうちの1軒「金龍菜館」に入ってみました。

 普通のラーメンとつけめん、冷やしめん(いずれも924円)があり、とりあえずラーメンを注文しました。

 麺は見慣れたそれとは少し見かけが異なり、茶色っぽい。よーく見ると、細かい黒粒が見えます。

 スープは非常に澄んだ薄茶色。トッピングにはチャーシューとチンゲンサイ、しいたけと、チャーシューを除くとあまりラーメンではお目にかからない具材で、チャーシューの上には、クコの実や松の実が! 付け合わせの薬味も妙です。ネギはともかく、ニンニク、ニラ、ラッキョウ、ショウガのみじん切り入った小鉢が添えられていました。これらをお好みで投入するのです。

 食べてみました。・・・・不思議な味です。日頃濃い味のスープ、脂っこいスープに慣れている人には「なんじゃこれ?」という味。とにかく薄味、あっさり味の極地です。麺も何ともいえない独特の風味です。

 ここで少しウンチク。日本で初めてラーメンを食べたのは、水戸黄門こと、徳川光圀と言われています。そう、天下の副将軍として、日本中の悪を懲らしめている、越後のちりめん問屋の隠居光右衛門さんなのです。

 実在の光圀はTVのように全国を旅していませんので、旅の途中でご当地ラーメンを食べたわけではありません。でも、光圀が大日本史編纂の助言を得るために水戸藩に招いた中国の儒学者、朱舜水が、光圀に中国の汁麺を献上したという記録が残っており、これをラーメンの元祖とする説があるのです。しかも史料にレシピまできっちり残っているのです。

 水戸藩ラーメンは、そのレシピを再現したものです。麺が茶色っぽいのは、小麦粉に蓮根粉を練り込んであるから。スープは豚や鶏からダシを取っています。薬味の小鉢は、五辛と言われる、漢方由来の薬味! 「これは薬膳ラーメンなんだよ!」と言われると、「なるほど・・・」と食べてしまいます。そういえば、食べた後は少し体中の血行が良くなった感じも・・・(笑)

 ここまで書いて「あれ?」と思い筆が止まりました。今でこそ、日本人は豚や鶏は普通に食べています。しかし、時は江戸時代。一般人はもちろん、武士、ましてお殿様が豚や鶏を食べるのか?? まして、光圀の頃の将軍といえば、犬公方と言われた徳川綱吉の時代。生類憐みの令全盛の時代です。本当なのか? 眉つばっぽくないか?

 そんな疑問も光圀には余計な御世話でした。ラーメンのレシピが記された史料には、他にも光圀が、餃子、チーズ、牛乳を食していたことが書かれています。金龍菜館にもそれを再現した「水戸藩餃子」というメニューがありました。梅肉、鴨肉、クコの実、松の実などが具材に入っています。味は鴨肉の甘味が前面に出た、やっぱり不思議味です。

 それにしても、その時代に堂々と肉食する光圀。当時としては相当のチャレンジャー、いや、言葉を飾るのは止めましょう、ゲテモノ喰いの人ですよね・・・。

 ラーメンと言えば、日本の国民食の代表格。そのルーツをたどると、当時の日本人の尺度から見ればゲテモノ料理になってしまう。人間の味覚というのは、その人の文化的なバックボーンで大きく変わってしまう、実は非常に曖昧なものなのかもしれませんね。
 ところで、光圀にラーメンを供した朱舜水ですが、水戸藩に来る前に柳川藩に居たということが分かっています。以前、久米宏氏がニュースステーションで、ラーメンの元祖は水戸市か、福岡県柳川市か、という論争を両者にさせたことがありましたっけ。残念ながら柳川市を訪れたことはないので分らないのですが、柳川市のラーメン事情って、どうなっているんでしょう。何か町おこしの起爆剤として活用されているのでしょうか? ラーメン紀元サミットなんて、面白いと思うんですけどね☆

 

 

メタボ@納豆の国の人>
住所  :水戸市米沢町237-15
電話番号:029-248-2500
営業時間:11:00~23:00

最新記事