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【名作文学と音楽(1)】「イエロー・カクテル・ミュージック」とは何か? フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』

2022.8.3 6:00 共同通信

 F・スコット・フィッツジェラルドの代表作『グレート・ギャツビー』(1925年)は日本でも人気が高く、新潮社、KADOKAWA、光文社の各文庫や中央公論新社の『村上春樹 翻訳ライブラリー』などから邦訳が出ている。1974年にロバート・レッドフォード、2013年にレオナルド・ディカプリオの主演で映画化されたから、そちらでご存じの方はさらに多いだろう。公開題名はどちらも『華麗なるギャツビー』だった。

 
 

 まずは主人公のジェイ・ギャツビーを紹介しなくてはならない。彼は怪しげな商売で財を築き、ニューヨーク郊外の入江に面した土地に豪邸を構えている。夜な夜な盛大にパーティーを催し、勝手に押しかけて来る客まで歓迎するのは、人妻となったかつての恋人デイジーが対岸に住んでいるからにほかならない。彼女が大宴会のうわさを聞きつけてここへやってくることを期待し、失った愛を取り戻そうと考えているのだ。そこへ偶然、デイジーの親戚筋にあたるニック(本書の語り手)がギャツビーの隣に越してくる。


 ニックは早速パーティーに招かれた。客は庭を埋め、料理を味わい、酒を飲み、会話やダンスに興じている。大きな編成の楽団が来ている。どんな音楽が演奏されただろう。おそらくジャズ風のダンス曲が主だと思われるが、フィッツジェラルドはyellow cocktail musicと書いている。その「イエロー」をどう理解したらよいものか。


 イエロー・ジャーナリズムのイエロー、すなわち煽情的と取ったのが新潮文庫・野崎孝訳の「煽情的な酒席の音楽」と角川文庫クラシックス・大貫三郎訳の「煽情的な甘いとろりとするような音楽」。これに対し、光文社古典新訳文庫・小川高義訳は「ますます明かりの色が濃くなって、楽団がカクテルに伴奏をつける音も黄色く染まる」と色彩で読んだ。村上春樹訳の「黄昏のカクテル音楽」も「黄」という字を生かしてある。


 私自身は「煽情的」より「黄色」に味方したい。なぜかと言うと、このパーティーでは客を運んでくる黄色い昆虫のようなステーション・ワゴン、そろいの黄色い服を着た二人の女性、五つの大箱に入ったオレンジやレモンで黄色が強調されているからだ。黄色いカクテルを「イエロー・カクテル」と言うこともある。物語の終盤でギャツビーの運命を暗転させたのは、彼とデイジーが乗る黄色い自動車だった。


 楽団の指揮者が「ウラジーミル・トストフの『ジャズの世界史』」(野崎訳)と紹介した架空の楽曲ばかりは、少し毛色が違いそうだ。カーネギー・ホールで演奏され、一応の評判にはなったというあたり、1924年にイオリアン・ホールで初演されて成功を収めたジョージ・ガーシュウィンのシンフォニック・ジャズ『ラプソディ・イン・ブルー』を連想させる。ダリウス・ミヨーがジャズの影響を受けて作曲したバレエ音楽『世界の創造』(1923年)も時代が重なる上、題名が似ているのが気にかかるところ。
 

 
 

 フィッツジェラルドは音楽そのものを描写する代わりに、音楽に縁のある言葉をいたずらっぽくちりばめた。楽しげな話し声がはずんでいるさまは「人声のオペラもいちだんと調子を高める」(野崎訳)、ギャツビーを話の仲間に引き入れないでいることは「輪をつくってギャツビーを指揮者にする四重唱をやろうとする者もなかった」(大貫訳)といった調子だ。「名高いテノール歌手がイタリア語で歌い、評判の悪いアルト歌手がジャズ風に歌っていた」(小川訳)と余興の一場面のように書いてある所も、私は、フィッツジェラルドが甲高い声でおしゃべりに興じるイタリア人の男とガラガラ声で騒ぎ立てる女を歌手に見立て、そこに対照的な形容詞「名高い」と「評判の悪い」を付け加えたのだろうと思う。


 音楽的感興を読者に与えるのに、かならずしも曲名や演奏の克明な描写が必要なわけではない。フィッツジェラルドはいささか破調な文章を駆使し、享楽的な空気の中に音楽が漂う1920年代アメリカのジャズエイジを描き出すのに見事成功している。(共同通信記者・松本泰樹)

 

 まつもと・やすき 1955年生まれ。本とCDの山に埋もれて暮らす。さまざまな楽器に手を出してきたが、今は主にヴァイオリンでジャズとクラシックの演奏を楽しむ。