メニュー 閉じる

47News

のら猫ヨコハマへ行く~前編~ 

2017.11.13 12:55
Share on Google+ このエントリーをはてなブックマークに追加

 「ダウンタウン、全てがあなたを待っている♪」
 懐かしいペトゥラ・クラークの『ダウンタウン』がカーラジオから流れてきた。この曲を聴くと、どこかワクワクする街へ出かけたくなる。
 

 ペトゥラ・クラークは、1960年代の英国人女性歌手で『ダウンタウン』(65年日本発売)が大ヒット。当時、天才ピアニストのグレン・グールドをも、その美声と表現力で魅了した。


 初めてこの曲を聴いた13歳の私は、ペトゥラ・クラークといえばなぜか、女教師を連想した。彼女の膝丈のスカートにドキドキするおじさん教師や、若い男子生徒を思い浮かべずにはいられない。
 なぜだろう? なぜでも、だ。
 

 そんなことを思い出し、ワクワク気分でダウンタウン横浜へ向かった。
 

 港町・横浜。
 母に手をひかれ歩いた横浜。
 山下公園の木陰で浜風に吹かれたり、カモメをみたり、赤い靴を履いた女の子のおはなしや、大きな客船に圧倒されたりした子ども時代。
 

 10代半ばになると、横浜在住の叔母に付き添って、幼い従妹の乳母車を押しながら、歩いた横浜。元町のユニオンや喜久家洋菓子舗。チャーミングセール。谷戸橋を渡り中華街へ向かうと、有昌で赤い叉焼の量り売り。懐かしい横浜の味を思い出す。


 大人になって、初々しく恋人と手をつないで歩くデートコースの横浜もあったが、やはり愉快な仲間と食べ歩き酔いどれて過ごす、そんな横浜が大好きだ。


 近頃は、今はなき店が強烈に恋しくなり、思いをはせることがある。
 無い袖ふれぬ、しかし恋しい。そのくらいハマには魅力的な名店がたくさんあった。
  

 一番に懐かしい場所は、山下にあったBUND HOTEL(バンドホテル)。
 エントランスからすでに港町のホテル独特の怪しさ満載。
 それは往年の日活無国籍アクション映画の世界だった。
 いしだあゆみの「ブルーライト横浜」のブルーライトはここだという説もある。


 ホテル最上階のナイトクラブ「シェルルーム」。
 バンドの古臭い生演奏に乗ってハマジルを踊る爺さん婆さんに混じり、知らないステップを気取ってみたり。
 私が行ったのが1980年代から90年代初頭。99年でこのホテルは閉館。やがてドン・キホーテなる大型量販店に様変わりするのであった。


 バンドホテルの山下からは本牧に流れるか、山下公園を通りシルクセンターから関内へ流れるか。
 本牧なら イタリアンガーデンで四角いピッツア。リキシャルームなんて大人の溜まり場もあった。リキシャ閉店最後の日には、真っ赤なバラの花束を抱えたハマの大将とお別れしに馳せ参じた。


 80年代の横浜には「オキュパイド・ジャパン」、つまり占領下日本の名残があった最後の頃だったと思う。
 まだ「アメ車と夜と本牧」の時代。
 バーVWFは、元将校専用クラブだった。
 当時を思わせるドアの小窓がまだあったりして。
 カウンターで届かない足をぶらぶらさせて飲んだラムコーク。
 カウンターの幅や高さはアメリカ人に合わせたサイズなんだと教えられた。


 89年、マイカル本牧という巨大複合施設ができて、ロケでよく使わせてもらった。
 当時は徹夜ロケが多かったので、ここにあるホテルで仮眠したこともあるが、夜になると途端に寂しくなる遊園地みたいなところに、いったい誰が泊まりに来るのだろうと首を傾げた。


 本牧を背に、関内方面へ向かえば、シルクセンター、港湾会館など、港町らしい建物が並ぶ。
 現在はハマカフェなどで賑わっている大桟橋手前の海岸通り。
 当時は船関係商売の建物しかなかったような気がする。
 みなとみらいができる以前の新港埠頭や赤レンガ倉庫あたりは、セイタカアワダチソウが浜風に揺れているような寂しげな場所だったという記憶がある。


 そういえば、当時珍しかった薄焼きピッツアを食べにいったオリジナルジョーズ。
 「飯を食うならぁ〜オリジナルジョーズ」と松田優作が歌ったあの名店も、もうない。
 

 お酒を楽しむようになったら、ちょっと怪しい野毛や黄金町あたりも大好きになり、必ず立ち寄るバーもできた。
 日本郵船倉庫を利用した「Bank ART1929」の裏にひっそり明かりを灯す「ジャックナイフ」。
 昔は本牧A埠頭で見かけた大型バス車両を改装したバーが、いつの間にかそこへ移動。
 「ジャックナイフ」という店名からして、ここも日活映画の匂いがプンプンする。


 茶トラの可愛い看板猫がいて、その猫を抱きながら眺める夜景がたまらなく心地良い。
 ゆっくりグラスを傾けながらそこからの夜景を眺めているだけで、すさんだ心がホッとほころぶ。
 凪いだ水面に映るネオン。そこはバンドとも河とも港とも形容しがたい不思議な場所だ。


 しかし残念なことに、看板猫も老猫でほとんど店に姿はない。
 そして、この場所も来年4月をもって日本郵船との契約満了となり、閉鎖されると聞く。
 こういう隙間に佇む隠れ家的な店がまたひとつ消えて、新たな何かに変わってしまう。
 

 横浜を歩くとつい古い歌を口ずさみたくなる。
 「あなたし〜ってるぅ〜みなと横浜〜♪」
 「街の明かりがとてもきれいね横浜♪」
 伊勢佐木町にある横浜シネマリンや黄金町のジャックアンドベティで映画を見たあとに、よく立ち寄る野毛。


 先日は酔いどれ連隊で久々に野毛詣で。
 「のーげの、山越えのーげ、のーげの山越え、のーげ、のげのさいさい♪」と歌えば、
 地元タクシーの運転手に「お客さんすごい古い歌知ってますね。明治時代の野毛のはやり歌ですよ!」と驚かれる。
 古臭い野毛節を歌いながら闊歩する野毛の夜は楽しい。


 野毛に行ったら必ず立ち寄る路地裏のバー「キネマ」。
 入り口では憧れのジーナ・ローランス、階段を昇るとゴダールのポスターが出迎えてくれる。小さな劇場の様な佇まいが私の心を和ませてくれる。
 夜明け前まで、酔いどれの相手をしてくれる映画好きのマスター。
 たまにしか寄らない私のことをちゃんと覚えてくださり、紹介して立ち寄った客のことまで覚えていてくれて、その気遣いには頭が下がる。
 

 のら猫みたいにみんなでほっつき歩いたり、ひとりでホンキートンク歩きになったり、突然夜中に悲しみを飛ばしたくなり、車を飛ばしてゆく場所。
 横浜の魅力。
 なんなんだろう。
 この近くて遠いような港町。
 大人になって今思うのは、やっぱり大人の男と女が似合う街だということ。
 横浜の遊び方を知っている、それが「粋」ってもんじゃないかと。


 ハマにはハマの流儀がある。
 私のように多摩川を越えてくるような東京者はよそ者扱い的な、だけどよそ者が入る隙間がある、近いようで遠い場所。
 そのあいまいさ、距離感が私は好きだ。


 そして、いつも思う。
 この港、この国、この街を最初に船でやってきて、この街に魅了された昔のひとたちのことを。
 どんな想いがあったのだろうか。
 街はみるみる変貌してゆき「みなとみらい」なんて説明不要の名前で呼ばれるようになった。
 そこで私は、私の知らない時代の知らないヨコハマを想像する。


 街の明かりが私を誘う。
 さあ、お次はどこへ。ワクワク千鳥足で、さらなるダウンタウンへ繰り出そう。
 

 つづく

大好きなヨコハマの夜に潜る
大好きなヨコハマの夜に潜る

 

最新記事