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沖縄で聴くジャズ・与世山澄子の世界

2014.12.19 12:52
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 ある年のクリスマスイブ前日、私は独り沖縄にいた。


 沖縄は米軍基地が在るせいか、街のそこかしこに、クリスマスのイルミネーションが飾られている。
 イルミネーションが点灯する夜の街角に独りよそ者の私。
 そんな私に「クリスマスなのに、お家には帰らないの?」と言わんばかりに、行き交う人々は皆忙しそうだ。


 お土産にはローストチキンを買ってきてねとおねだりされていたので、いつも買う「ブエナチキン」に電話を入れたら、予約はとうに締め切られていた。


 一番繁盛するクリスマス時期だから当たり前か。
 仕方なく、洋菓子・洋食品の老舗『Jimmy’s』で並んでチキンを買った。ここもクリスマス一色。なんだか本当に独りで異郷にいるのが、さみしくなってしまった。


 そんな夜、沖縄のトモダチRが、以前から気になっていた店へ連れて行ってくれた。
 そこは、長年の憧れのジャズシンガー与世山澄子(よせやますみこ)さんが営むバーラウンジ『インタリュード』だった。


 与世山さんは1940年、八重山諸島の小浜島生まれ。
 戦争中は中国の廈門に疎開していたそうで、沖縄戦を体験していない。


 3歳の頃沖縄に戻り、那覇市にある壺屋小学校に通いながら音楽教室で歌を学び、小学校6年生の頃には、音楽教室の先生たちが演奏する楽団とともに米軍基地内のクラブで歌い始める。アイスクリームがまだ珍しかったころ、華やかな基地内のクラブで『テネシーワルツ』などを歌い2ドルの給金をもらったそうだ。


 あの頃の基地内のクラブは別天地だったという。
 与世山さんの背景にあった米軍基地が歌手としての彼女を育てたといっても過言ではないだろう。


 16歳でデビュー。
 米軍から給料がもらえるようになり、その額は当時月給400ドルくらいだったという。一般の人の月給が80ドルくらいの時代の話だ。


 やがて、ボブ・ホープとレス・ブラウン楽団と共演したことで脚光を浴び、そのエージェントと契約を結び本格的にジャズシンガーとして渡米する運びとなり、上京。米軍基地のクラブの他、エージェントからのショウの仕事を請け負い、赤坂『コパカバーナ』などのナイトクラブのステージにも立つが、ショービジネスが肌に合わなかった彼女は3カ月で沖縄に帰郷。結局、渡米もしなかった。


 1972年の本土復帰をきっかけに、与世山さんが基地内のクラブで歌うことはなくなる。時代はベトナム戦争末期。音楽もジャズからロックへと変化した時代だった。


 その後は、那覇の安里にあった実家でバー・ラウンジ『インタリュード』を立ち上げ、その店を拠点に彼女は現在も歌い続けている。

 確かに、建物の入り口付近をよく見ると『与世山アパート』とある。
 その左手には愛嬌のある手描きの看板が掛かっていた。
 アパートは3階建てで、3階は賃貸住居、2階に『インタリュード』、1階には喫茶店がある。そこでは、あの歌姫・与世山さんがごく普通に沖縄そばを出したりしているらしい。


 初めて訪れる『インタリュード』。
 2階を上がってドアを開けると、そこは別世界だった。
 

 天井から壁まで深紅のビロードの緞帳のような布で覆われ、ゆったりしたソファ席が数席、テーブルには白いレースのクロスが掛かっていた。壁には額装された与世山さんの昔の写真が飾られていて、ピアノが置いてある周りにも、写真立てに写真が飾られていた。
 そこはまるで米軍統治時代にあったような古き良き大人の雰囲気が漂う、歌姫・与世山澄子の世界があった。


 店内では中年の男性が独り、ウイスキーソーダを飲んでいた。
 小さく流れるジャズのBGM。
 音という音をすべて集音させる深紅の世界は、大きなデキャンタに注がれたヴィンテージボルドーの赤のようだった。


 カウンターの奥に視線をやると、やや斜めに背中を向けて座っている女性の横顔が見えた。
 「与世山澄子さんだ!」
 私はその佇まいに圧倒された。


 見た目は沖縄のそこらにいる普通のおばちゃん。
 なのに、彼女が放つ不思議な温度感。どこか問わず語りの横顔。
 なんなんだこの人は!
 私ののら猫アンテナはリミッターを振り切り、制御不能になってきた。


 「まあまあ、落ち着いて。今、ピアノとベース弾きを探してくれているそうなので待ちましょう」。Rが私に耳打ちした。
 「え?! 今から探すの?! そうかあ、さすが歌姫……。待ちます! ええ、待ちますとも!」小声で返した。


 深紅の世界にほんのり灯るクリスマスのイルミネーション。
 ほどなくして、客が帰ると私とRだけになり、店内は一層静まり返った。


 30分ほど経っただろうか。
 まだプレイヤーは見つからない様子で、ライブが始まる気配もなく、歌姫は時折咳払いをしながらカウンターの奥に黙って座っている。


 やがて店の人が申し訳なさそうな表情を浮かべながら、「プレイヤーが見つからない」と謝ってきた。
 そして、カウンターにいた歌姫も静かに立ち上がり、こちらにやってきた。
 「ホントすみませんねえ。せっかくいらしていただいたのに。ちょっと、喉の調子も悪くて……。本当にごめんなさい」


 思ったよりも小柄な歌姫の伏し目がちの表情は、はにかむ少女のようだった。
 「いえ。あのう、また来ます。いえ、絶対来ます。きょうはお手間お掛けしてすみませんでした。あのう、写真を……。あの額にある写真を観てもいいでしょうか?」
 「ああ、ええ。どうぞ、どうぞ。本当に今夜はごめんなさいね」
 歌わない歌姫を前に、静かに灯るクリスマスのイルミネーションが目映かった。


 私が与世山さんを知ったきっかけは、今から10年以上前、小説家の矢作俊彦さんを通じてだった。


 かのビリー・ホリデイのピアノ伴奏者で有名なマル・ウォルドロンの伴奏で歌った日本人唯一の歌姫が沖縄にいるという話を矢作さんから聞いた。
 矢作さんは『インタリュード』にバラの花束を抱いて訪れたそうだ。
 さすがハードボイルド作家、やることがいちいちカッコいい。


 後に知ったのだが、マル・ウォルドロンはチャールズ・ミンガスの『ピテカントロプス』のアルバムにも参加していた。
 そして与世山さんは八重山のご出身。
 なんと! 私の好きな岸田森さんに繋がる不思議な縁を感じるではないか。

 
 そんな歌姫の歌声を最初に聴いたのは、『インタリュード』という名のアルバムだった。


 このアルバムは与世山さんの店『インタリュード』で2005年に録音された。演奏メンバーには、菊地成孔さん、南博さんなど本土から精鋭なジャズミュージシャン達が集結。奇遇にも菊地さんとは以前、音楽家・大友良英さんが企画し私も参加した『武満徹トリビュートコンサート』で面識があり、南さんはウクレレユニット・パイティティのリーダー石田画伯の高校時代の同級生だった。


 那覇市宇栄原にあるトモダチTが暮らす外人ハウスで、そのアルバムを聴いた時の衝撃は今でも忘れられない。


 平屋のハウスの大きなリビングには、米軍放出品の大きなダイニングテーブルと椅子があった。そこで私が仕事をしていると、Tが音楽をかけてくれた。


 ふと、作業する手を止めて、私は椅子に深く腰掛け微睡んだ。
 ハウス全体に響き渡るその音は、まるで今この部屋の中で歌っているような、不思議なマスタリングだった。


 9曲目の『WHAT A WONDERFUL WORLD』が流れると、体の奥から熱い何かがこみ上げ、泣いていた。
 初めて聴く与世山さんの歌声は、私を虜にした。


 そして今年5月。
 再び『インタリュード』に訪れるチャンスがあった。


 たまたま取材で来沖していた雑誌『GQ』編集長のスズキさんと、小説家の高橋源一郎さんと合流。彼らも与世山さんの歌声を是非聴きたいというので、『インタリュード』へ電話してみると、このときもプレイヤーを探して見つかり次第ライブを始めますということだった。
 30分ほどして、プレイヤーが見つかったという知らせを受けた我々一行は『インタリュード』へと向かった。
 

 客は我々数名だけで、他には誰もいなかった。
 やがて、ピアノ弾きがやってくると、歌姫が静々とピアノの傍らに佇んだ。
 「与世山澄子さんの生歌がやっと聴ける!」
 私は深紅の世界にどっぷり身を任せ、耳を傾けた。


 初めて聴くその歌声は今まで聴いたこともない歌声だった。
 まるで、触手のように無数に気根が垂れ下がるガジュマルの古木に耳を当てているような。
 ジャズに詳しくない私でも、ビリー・ホリデイ、エラ・フィッツジェラルド、ヘレン・メリルあたりはCDなどで聴いたことがある。だけど、こんな歌声は初めてだった。


 時折歌姫が「次は何を歌おうかしら」とつぶやいたりするので、私もつい高じて「C・ポーターの『NIGHT AND DAY』!」などと無謀にもリクエストを頼んでみると、なんと歌姫はそれに応じてくれた。
 そして『WHAT A WONDERFUL WORLD』が始まると、また知らぬ間に、涙が止めどなく溢れ出ていた。


 南の島独特の温度が伝わってくるその歌声。
 適度に湿度があり、だけど渇いたその感じ。
 戦後の沖縄の歴史が走馬灯のようにおぼろげな光を放ち廻っているようだった。


 知らぬ間に世の中の有象無象にまみれて疲れ果てた私の心はゆっくり溶かされてゆく。ただ、そこに身を委ね、歌声に聴き入るだけで、それだけで心地よかった。エレクトリックな質感がない、アナログの音から伝わるエモーション。
 あのアルバムがここ『インタリュード』で録音された意味がわかった気がした。
 
 
 その後も夏、東京の下町へ歌姫のライブに、矢作さんと高橋さんの小説家の御大二人と駆けつけた。


 三人で最前列ど真ん中で聴いたのだが、歌姫が撒き散らす妖精の粉にやられて三人でぶっ飛んだ。
 源一郎さんは感涙、矢作さんは「すごい、やっぱり本物だ!」と舌を巻きながら、子どもみたいに歌姫の写真まで撮っていた。


 ふと気付いたのだが、歌姫の歌を聴いていると、そこがどんな空間であってもラグジュアリーでロマンティックな気分になれるのが不思議だと思った。
 これも良き時代の米軍基地のクラブで育まれた魅力だろうか。


 そして、今年11月の終わり。
 クリスマスのイルミネーションが灯る代官山。


 アルバム『インタリュード』のメンバー、菊地さんと南さんもともにステージに上がるというので、また歌姫の歌声を聴きに駆けつけた。


 精鋭なプレイヤーたちを従えた歌姫は、すこぶるチャーミングな笑顔で、妖精の粉を振りまき、時折見せる表情がとても神がかっていた。


 私はカラダの芯まで震え、涙なしでは聴けないステージだった。
 あの感覚はなんなんだろう。
 震撼し、涙することで癒されるという不思議な感覚。


 ふと、与世山さんの先祖は八重山・小浜島のカミンチュ(神人)だったのかもしれないと思った。ステージに佇む彼女のオーラは確かにそう感じさせなくもない。
 八重山生まれの彼女はやがてアメリカだった頃のオキナワで、天使になったのかもしれない。


 ステージ終了後、与世山さんのお話を聞く機会があった。
 その時、何度なく彼女の唇から次いで出た言葉が印象的だった。
 「だって、歳を考えていたら何もできなくなるじゃない」
 

 そう、与世山さんはいつも愛らしい。
 なぜなら、天使は歳を取らないから。

 

与世山澄子さんが営むバーラウンジ『インタリュード』
与世山澄子さんが営むバーラウンジ『インタリュード』