【名作文学と音楽(7)】ノコギリの唄が聞こえる ボーヴォワール『招かれた女』

2023年02月01日
共同通信共同通信

 前回のコラムでは、シャンソンが出てくる日本の小説(津原泰水の『ピカルディの薔薇』と中井英夫の『虚無への供物』)を取り上げた。今回は音楽の登場するフランスの小説があまたある中から、私が探偵的な興味(?)を引かれたものを一つ紹介してみたい。
 その作品とは、実存主義者にしてフェミニズム理論家のシモーヌ・ド・ボーヴォワール(1908~1986)が1943年に発表した『招かれた女』である。私は実存主義に限らず哲学一般に不案内で、しかも彼女の主著『第二の性』も読んだことがない。恥ずかしながら今までボーヴォワールについて何も知らずに過ごしてきたのだが、たまたま手にした川口篤・笹森猛正訳の『招かれた女』(創元社、1952年)には、第2次世界大戦前夜のパリにおけるカフェやナイトクラブの様子が詳しく描かれていて、文章の奥にある思想はてんで分からない私が思わず引き込まれ、ページをめくったのだった。

 1966年に来日した時のボーヴォワールとサルトル
 1966年に来日した時のボーヴォワールとサルトル

『招かれた女』の主な登場人物は、作家のフランソワーズ・ミケル、その愛人で俳優兼演出家のピエール・ラブルッス、フランソワーズが地方都市ルーアンからパリへ呼び寄せた若い女性グザヴィエール・パジェス。この3人が構成するトリオの濃密で風変わりな関係が小説を進行させていく。
 <招かれた女>はもちろんグザヴィエールのことを指している。訳者が前書きで「一切の努力を嫌ひ、社會を無視して自己のうちに閉ぢこもり、無為と刹那の感情の満足に生きようとする異常な性格の持主」と書いた通りの扱いづらい面を持ちながら、とても純粋で可愛らしくもあって常に周りを困らせる。
 ボーヴォワールは実際に、同志的伴侶のジャン=ポール・サルトル、かつての教え子オルガ・コサキエヴィツとの込み入った関係を経験していて、その構図を『招かれた女』に移し替えた。人間像は変形してあるものの、フランソワーズにはボーヴォワール、ピエールにはサルトル、グザヴィエールにはオルガが投影されている。
 ボーヴォワールにしても、サルトルにしても、難解な思想を抱いたとっつきにくい人間だと思われてはいないか。しかし、彼女の自伝『女ざかり』(朝吹登水子・二宮フサ訳、紀伊國屋書店)を読むと、2人がパリのナイトライフを存分に楽しんでいたことが分かるし、興に乗ると唄が飛び出すサルトルの剽軽な面も描かれていて、目からうろこの落ちる思いがする。『招かれた女』にもやはり、パリの享楽的な雰囲気がそこかしこに漂い、私のような不埒な読者を喜ばせてくれる。
 探偵的興味をそそられた場面は『招かれた女』の最後の方なので、まずは音楽の描かれているそれ以外の箇所を、フランソワーズたちが足を運んだカフェ、ナイトクラブ、ダンスホールなどと一緒に見ていこう。

 
 

 <トリオ>の行く先は「ドーム」や「カフェ・ド・フロール」「クーポール」「ドゥ・マゴ」(川口・笹森訳では「二匹猿」!)といった実在の老舗ばかりではない。彼らは異国的な背景を持つ店に行ってエキゾチックな酒を飲み、音楽を聴いたり踊ったりした。名前は変えられていても、モデルの店はあったのだろう。
 小説の冒頭近くで、フランソワーズとグザヴィエールはアラブ風のカフェにいる。タンバリンのリズムにのって腰を振り、腹を揺する踊り子を眺め、グザヴィエールは「魔ものが、とりついたからだから離れようとしてゐるみたい」と言う。7時になって2人は店を出たが、夜はまだこれからだ。
 その晩、フランソワーズとグザヴィエールは、ピエールの妹エリザベートを加えた女性3人連れでモンパルナスのダンスホール「牧場」へ繰り出した。フランソワーズは、ジャズのリズムやナイトクラブの黄色い明かりと人混みが好きだった若い頃を思い出す。飲み物は3人ともウイスキーだった。
 ある時フランソワーズとグザヴィエールは、ブロメ街の「植民地人ダンスホール」へ入り込んだ。ピエールがグザヴィエールと接吻をしたことや何かで悩ましい思いをしているフランソワーズは、「ルンバの音楽」を聴いてすっかり頭が乱れた。
 ところで、ここでいう「ルンバ」はどんな音楽だろう。ルンバは本来、アフリカ色の濃いキューバの打楽器音楽だが、1930年代以降、欧米では別系統のキューバ音楽「ソン」がこの名前で広まった。普通に考えれば、フランソワーズの頭を乱したのは後者のルンバ(=ソン)だろうが、店の名が私に連想させたのは、当時フランスの植民地だったカリブ海の島マルティニーク(現在は海外県)で生まれた「ビギン」である。ブロメ街には実際、マルティニークの音楽を聴かせるダンスホールがあった。2人の飲んだ酒が「マルティニーク・ポンス」だったこととも辻褄が合い、むろん確証はないが、ビギンも演奏されていた可能性は十分あるだろうと夢想している。

 
 

 ピエール、フランソワーズ、グザヴィエールの3人は、友人のポール・ベルジェに連れられてスペイン風キャバレー「セヴィヤナ」を訪れた。マンサニージャという辛口のシェリー酒を飲み、本式のフラメンコを楽しんだ。「ギタリストも名手ぞろいでせう?」と常連のポールが誇らしそうに言う。フランソワーズとポールはスペイン起源のパソ・ドブレを女同士で踊った。
 このように、<トリオ>とその周囲の仲間たちは、異国風の店で外国の音楽を聴き、そこにふさわしい酒を飲んだ。そして、ここからがようやく本題なのだが、シャンソン(といっても元はドイツの曲だが)を聴いたのは、店の中ではなく、さみしい道端だった。フランソワーズとグザヴィエールが「ドーム」で待ち合わせ、アラブ風カフェへ歩いて行く途中のことである。
「焼けつくやうな、暑苦しい空氣をつらぬいて、長くひつぱつた、啜り泣くやうな唄聲が聞えた。人氣ない通の隅つこで、一人の男が床几に腰かけ、兩膝をひろげて、鋸をひいてゐる。鋸のゴシゴシにまじる、悲しい唄の文句に耳をすますと…」
 以下には、ティノ・ロッシ(またしても!)がヒットさせ、日本では淡谷のり子も歌った『小雨降る径』の歌詞が引用されている。

  この文章から、どんな情景が想像されるだろう。ノコギリで木材を挽きながら、啜り泣くような声で、しかし空気をつら ぬく力で悲しい唄を歌う男? あり得なくはないが、もうひとつ落ち着きが悪いように私は感じた。

 『招かれた女』の原書
 『招かれた女』の原書

 原文に当たったら、両膝を開くのではなく、膝と膝を合わせ、ノコギリをぴったり挟んでいるように読めた。これは西洋ノコギリを弦楽器の弓でこすって演奏する時の姿勢ではないか――そう直感したのは、昔、大阪の河内長野市で開かれたミュージカル・ソウ(音楽ノコギリ)のフェスティバルを取材に行ったことがあるからだ。日本、アメリカ、イギリスの演奏者が数多く出演したが、立った姿勢で弾く一人を除き、みな椅子に腰かけ、ノコギリの平たい面を両脚で挟んでいた。
 ノコギリを弓で弾けば、口笛とヴァイオリン、あるいは二胡を混ぜ合わせたような響きがする。「ゴシゴシ」と訳された単語が、ヴァイオリンやチェロの啜り泣くような音をも意味することを辞書で確かめ、ノコギリ=楽器の仮説に力を得た。道具と楽器、両方の意味を持つinstrumentを楽器と解し、「唄聲」を楽器の音の比喩的表現とみるのにもさほど無理はないはず。以上を考え合わせ、私なりのイメージ――音楽ノコギリを啜り泣かせてメロディーを奏で、それに合わせて歌う一人の男がいた――を描いてみた。

 『女ざかり』の原書
 『女ざかり』の原書

 ここまで考えてから『女ざかり』を読み返したら、なんと、そっくり同じ場面があった。どうしたわけか最初に読んだ時に見落としていた。ボーヴォワールとオルガがルーアンの街を歩いていたときの話である。訳文は「ひとりの男が折り畳み椅子に腰かけて、鋸を使いながら気の抜けた声で歌っていた」。これだとノコギリをどう使っていたのかはっきりしないが、つい最近手に入れた原書を見たら、明らかに「ノコギリを演奏」だった。肝心な所の見落としは情けないが、推理が的外れではなくてほっとした。(共同通信記者・松本泰樹)

 まつもと・やすき 1955年信州生まれ。今回初めて知ったが、マレーネ・ディートリヒは米軍慰問の余興で、ノコギリの演奏を披露したことがある。1927年にウィーンで撮影があったおり、共演者から習ったという。ヴァイオリンを学んだ下地があり、弓の扱いに慣れていたはずだから、おそらく腕前はよかっただろう。

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