【3分間の聴・読・観!(4)】心の隅を少しずつ押し広げる 凝った気持ちを解きほぐすためのリスト


「ひとりぼっちで、満ちて、引いて、浮かんで、沈んで、晴れて、凪いで、澄んで」。大崎清夏の詩集「踊る自由」から、「渋谷、二〇一一」の終盤に現れるこのフレーズに引き寄せられた。たたみかけるような連鎖はさらに「繋がって、切れて、揺れて、翻って、膨らんで、萎んで」などの言葉が続き、詩が終わる。
短く鋭く、気になって忘れられないフレーズに出合えるのが詩を読む面白さだと思う。一語一語が響き合い、音楽性を備えている。ありきたりの意味を求めるのではなく、書かれている言葉に身を委ねてみよう。理屈で固まった世界とは違う揺れ。目先の緊張で凝った心が解きほぐされる。
「歩いている私はどこにもいなかった。歩いている私を誰も探しに来なかった」(「渋谷、二〇一一」)。これが自分のことのように思える。「松浦佐用媛、舞い舞う」という通しタイトルを持つ詩「またた・く―瞬く」の一節は、読んでいる体を軽くしてくれた。「エントロピーの神様の掌で、ことばも星のように瞬く。その複雑な振り付けにふさわしい形容詞をわたしたちが発見するまで、あと千年とすこしだ」

詩集をもう1冊。水沢なお「美しいからだよ」から。
「澄んでるね」
「なにが」
「心臓の音が」
「そんなこと、初めて言われた」
「わたしも、初めて言った」
「もったいないくらい
いつか、消えてしまうことが」
(詩「カーテン」)
身体感覚を鋭敏に表す詩人は、指先を切り裂くように繊細な言葉を連ね、読み手を揺さぶる。2020年の中原中也賞受賞作。
詩は効く。そして聞くものでもある。自分で朗読することもおすすめしたい。開くのは手当たり次第でもいい。数々の詩の中から気になるフレーズを掘り出して、その時々の喜びと切なさと哀しみに浸りたい。

見ている間中、スキッとした気持ちになれるのが「ポール・ヴァーゼンの植物標本」。百年ほど前にポール・ヴァーゼンという女性がスイス、フランスで採取した約100点の植物標本を撮影し、作家堀江敏幸の書き下ろしとともに刊行された。エーデルワイスやヒナギク、ウスベニアオイなどがいい状態で保存され、採取直前の花の色や葉脈、茎、根の厚みが標本の写真からうかがえる。1枚ずつ長い時間眺めても飽きない。これらの草花はどんな日を浴び、風に揺れていたのか。
東京のアンティークショップ店主が南フランスの蚤の市でこの標本を見つけた時は紙箱にしまわれていたというが、刊行によって閉じ込められた時間が解き放たれたように感じる。
心の凝りをほぐす音楽として、J・S・バッハのゴルトベルク変奏曲や平均律クラヴィーア曲集のように、1曲ずつが短くも光を宿す作品を挙げたい。閉じて固くなっていた心の隅に音が触れて、少しずつ広げてくれる。自分一人のための演奏という心地にもなれる。名演、名盤はあまたあり、好みの演奏をどうぞ。聴き比べも楽しい。(杉本新=共同通信記者)
【今回の作品リスト】
▽大崎清夏「踊る自由」(左右社)
▽水沢なお「美しいからだよ」(思潮社)
▽ポール・ヴァーゼン、堀江敏幸「ポール・ヴァーゼンの植物標本」(リトルモア)
▽J・S・バッハ「ゴルトベルク変奏曲」「平均律クラヴィーア曲集」
すぎもと・あらた 1963年生まれ。大長編小説や大編成の交響曲の感動もいいですが、短いからこそ忘れがたい言葉と音のフレーズを、ためつすがめつ頭の中で繰り返す時間も貴重。どこかへ向かって歩いている時にぴったりです。
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