【名作文学と音楽(5)】なぜその曲なのか チャンドラー『さらば愛しき女よ』

2022年11月30日
共同通信共同通信
 
 

 純文学の梶井基次郎からハードボイルド小説のレイモンド・チャンドラー(1888~1959)へ飛んだのは、二人とも作中で口笛を効果的に使っているからだ。ただし、梶井の『Kの昇天』で語り手が遠くの人影に向けてシューベルトを奏でたのとは違い、チャンドラー作品の登場人物はおおむね自分のために吹くか、無意識に吹いているかである。何という曲だったのかは滅多に書かれていない。

 たとえば『長いお別れ』(ハヤカワ文庫 清水俊二訳)で、私立探偵フィリップ・マーロウが怪しげな施設(一種の芸術家村で今は閉業)を訪ねて行くと、異様な服装の若い男が建物の中で「かんだかい口笛」を吹いている。男は階段を降りてきて足を止め、口笛を吹いたままマーロウを見る。マーロウが次に施設へ行った時、男は施設を運営していた医師に用を言いつけられると口笛を吹きながら出て行き、用を済ませて母屋に戻ってくると、うろ覚えの曲を思いだそうとして、また口笛を吹く。この一連の振る舞いで、男の風変わりな性格の一端がうかがわれるだろう。

 別の所には、自転車に乗った新聞配達の少年が「口笛を吹きながら走り去った」という描写もある。さりげない表現だが、口笛があることで風景が生き生きとしてくる。このように、曲こそ分からないが、あちこちで音が印象的に響いている。

 
 

 チャンドラーが例外的に題名を書いたのは、Farewell, My Lovely(ハヤカワ・ミステリ文庫の清水訳で『さらば愛しき女よ』、ハヤカワ文庫の村上春樹訳で『さよなら、愛しい人』)に出てくる次のシーンだ。少し前の方から、主に清水訳を参考にして紹介しよう。

 マーロウは波止場にいる。暗黒街の黒幕が所有する賭博船に、危険を冒して乗り込もうと考えている。ホットドッグ売りの声が聞こえてくる。マーロウは売り子に近づき、遠くに見える船には金があれば遊びに行けるかと聞く。女が目当てかと売り子が問い返す。マーロウは静かな部屋でうまいものを食い、冷たい風に吹かれたいのだと答える。売り子は「お前さんの言うことは何も聞こえねえ」(村上訳では「話がわからんね」)と言い捨てて商売に戻る。

 しばらくして、その売り子がマーロウのそばに擦り寄ってきた。「いま、“ピカデリーのバラ”を口笛で吹いてなきゃいけないのだが」と前置きし、「あそこへ行くには…」と話を継いでいく。

 男の言葉は、村上訳だと「素知らぬ顔で、口笛で『ピカルディーのバラ』でも吹いているべきなんだろうな」「ちっとばかし金がかかるぜ」になる。

 曲名が違っているのに気がついただろうか。正しいのは村上訳。この歌は1916年にイギリスで作られた第一次世界大戦時のヒット曲で、ピカルディーは当時激戦のあったフランスの地名。英国の兵士たちはこの歌をうたいながら戦地へ向かったという。

 なぜ『ピカルディーのバラ』が持ち出されたのか少し考えてみたい。特別な意味はないのかもしれないが、私の性分で、こういう所が気になって仕方ない。

 『さらば愛しき女よ』は1940年に出版された。その何年か前に作られた歌が作中に出てくるから、描かれている時代もこの頃だろう。第一次世界大戦から四半世紀近くたっている。『ピカルディーのバラ』は一時の流行で終わらず、アメリカでもスタンダード・ナンバーの端くれぐらいにはなっていたが、やはり英国産の歌という意識は残り、戦争の記憶と完全に切り離されてはいなかったのではないか。

 
 

 チャンドラーはシカゴで生まれ、両親の離婚後、アイルランド系の母親と共に英国で長く暮らした。就職のため英国籍も取っている。その後アメリカに戻るが、大戦中はカナダ軍に入隊してフランスで戦った後、イギリス空軍に配属された。こうした経歴から、彼は一般のアメリカ人よりも『ピカルディーのバラ』に対する思い入れが強かっただろうと想像できる。

 ひょっとしたらチャンドラーは、これから黒幕と一戦を交えるかもしれないマーロウを書くにあたって、かつて兵士が愛唱した『ピカルディーのバラ』を出しておこうと思ったのではないだろうか。うっすらそんなことを考えている時、インターネット上で興味を引かれる記事に出会った。

 それはBBCの第一次世界大戦回顧番組に関わる紹介文で、『ピカルディーのバラ』の楽譜が大戦中、月に5万部売れたことと並び、爆弾の衝撃で言葉が話せなくなった兵士にこの曲を歌わせると、言語能力を回復するのに役立つという噂があったと書いてあった。

 チャンドラーはその噂を承知していたかもしれない。船に行く目的をとぼけた口調ではぐらかしたマーロウと、「お前さんの言うことは何も聞こえねえ」と捨てゼリフを吐いて会話を打ち切ったホットドッグ売りに再び口をきかせるきっかけとして、言語の回復と縁がある『ピカルディーのバラ』を使ったと考えてみてはどうだろう。

 以上はこじつけに近い夢想だが、この場面の後、マーロウがレストランで耳にする歌が『星への階段(きざはし)』(原題はStairways to the Stars)であるのには、かなりはっきりとした必然性が感じられる。なぜなら、ピアノを弾きながらこの曲を歌っている男は「声に不足があり、その階段は半分ほど段が失われていた」(村上訳)と書かれているからだ。星に手が届く所まではとうてい登れないような力のない声なのか、あるいは高音がろくに出なかったということだろう。チャンドラーは階段に掛けたこのシャレが言いたかったに違いない。

 「半分ほど段が失われていた」の原文はwith half the steps missingである。stepには音程という意味があるから、か細い声で音域が狭い上、しょっちゅう音を外すような歌い手だったと考えていいかもしれない。清水訳は飾り気がなく小気味よいが、この部分に関しては、村上訳で示した階段のくだりが省略されていて、チャンドラーがなぜこの曲を登場させたのか空想させてくれないのが残念だ。(松本泰樹・共同通信記者)

 
 

 まつもと・やすき 1955年信州生まれ。自宅のCD棚で『ピカルディーのバラ』の入ったアルバムを探したら、フランク・シナトラが英国ゆかりの歌をうたったロンドン録音盤SINATRA SINGS GREAT SONGS FROM GREAT BRITAIN、英国生まれのピアニスト、ジョージ・シアリングのベスト盤など5、6枚が見つかった。チャーリー・ヘイデン・クァルテット・ウェストの『魅せられし心』は、ベースの巨匠ヘイデンが『さらば愛しき女よ』を意識して書いたオリジナル曲HELLO MY LOVELY などを収め、チャンドラーの作品世界を彷彿とさせる。『星への階段』は楽器演奏や女性ヴォーカルに名演が多いが、男性歌手ではジョニー・ハートマンやメル・トーメが歌っている。