【ぷらっとTOKYO】「国分寺」 市民の手で守られる史跡


東京都国分寺市の市名は、奈良時代に聖武天皇が国の混乱を鎮めようと、全国六十数カ所に建てさせた国分寺に由来する。同市では今も、国分寺跡と周辺の史跡が市民の手で大切に守られていると知り、街を訪ねた。(共同通信=鈴木賢)

JR西国分寺駅から南東方向に徒歩で約15分。閑静な住宅地を通る坂道を下りると、「武蔵国分寺跡」の空間が目の前に広がる。金堂や講堂があった僧寺中枢部の跡で、規模は東西約156メートル、南北約132メートル。空が広く感じられる。

武蔵国分寺跡は1922年に国史跡の指定を受け、段階的に調査と整備が進み、昨年100周年を迎えた。敷地への立ち入りは自由だ。発掘された金堂や講堂の礎石を触りながら往時の伽藍を想像すると、一層、国分寺の規模が実感できた。

少し歩いて「史跡の駅 おたカフェ」へ。店員によると、地場野菜の「こくベジ」や果物を使ったメニューが人気という。「野菜と鶏肉のスープカレー」は、ショウガなどスパイスの利いたトマトベースの辛口雑炊風。注文して野菜のこくと、うまみに舌鼓を打った。
カフェの北側は、木々の緑が美しい「お鷹の道」。江戸時代に付近の村が尾張徳川家の鷹場(タカ狩りをする場所)に指定されていたことに由来する小道だ。脇には野川の支流、元町用水が流れる。清流を好むアブラハヤやカワニナがすむという。
お鷹の道に面する「おたかの道湧水園」にある武蔵国分寺跡資料館は、発掘調査の成果と文化財を展示する。国分寺跡の復元模型を見ると、寺の配置が一目で分かる。

学芸員の増井有真さんは「国分寺跡一帯は、古い多摩川が形成した河岸段丘の麓にあり、昔から湧き水が豊かです」と教えてくれた。勧められて足を向けた「真姿の池湧水群」では、斜面のたもとから染み出た水が清流となり、せせらぎが古代から連綿と続く人々と自然の営みを連想させた。

【メモ】おたかの道湧水園の入園料は一般100円、中学生以下無料。
