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(4)ウガンダ 突然の通告、決意の失踪 東京五輪直前、夢見た成功  「妻子と共に」再起誓う

2022.7.1 0:20 共同通信

 30畳ほどの薄暗い部屋にトレーニング器具が雑然と置かれていた。流しっ放しのテレビと沿道を走る車の騒音に、男の息遣いが重なる。巨大なバーベルが頭上に高く掲げられた。隆々とした褐色の筋肉を細かく震わせ、その表情に苦悶(くもん)と快感が入り交じる。


 ウガンダの首都カンパラ郊外の質素なジム。ジュリアス・セチトレコ(21)はここで毎日の鍛錬をこなす。トレーナーも語り合う友もいない。破れた夢と人生を取り戻すための孤独な戦いだ。

 

ジムでバーベルを高々と持ち上げるジュリアス・セチトレコ。引き締まった肉体は厳しい鍛錬の日々を物語る=ウガンダの首都カンパラ郊外、2021年12月18日撮影
ジムでバーベルを高々と持ち上げるジュリアス・セチトレコ。引き締まった肉体は厳しい鍛錬の日々を物語る=ウガンダの首都カンパラ郊外、2021年12月18日撮影

 

 ▽「トヨタ」目指し


 東京五輪の開幕が1週間後に迫った2021年7月16日、メディアが一斉にある騒動を報じた。ウガンダの男子重量挙げ選手が滞在していた大阪府泉佐野市のホテルから失踪―。その日の朝、セチトレコは新幹線で大阪から名古屋へと向かっていた。「『トヨタ』で有名な町に行き仕事を探すためだった」


 心に繰り返し去来したのは前日の朝食直後の出来事だ。「セチ、残念だけれど君は五輪に出られない」。ウガンダ選手団幹部からの通告に打ちのめされた。来日後に更新された重量挙げの世界ランキングで順位が下がり、出場資格を満たさなくなったと説明された。


 セチトレコにとって、新型コロナウイルスの感染拡大による東京五輪の1年延期はチャンスだった。選手として発展途上にあった実力は、五輪出場の目前まできていた。


 バイクタクシー運転手の生活は苦しく、20年に結婚した妻は妊娠していた。「五輪で活躍すれば国の英雄。安定した収入を得て妻子を幸せにできる」。バイクを売って競技に集中する環境と栄養価の高い食事を整え、なんとか手にした成功への切符のはずだった。

 「人生最大の賭けをこんな形で終わらせるわけにはいかなかった」


 ▽廃車の中で


 名古屋駅でセチトレコは、駅員に身ぶり手ぶりで「外国人を助けてくれる役所」の場所を聞いた。経路や建物の特徴の説明から名古屋入管に立ち寄ったと推測されるが、展望は開けなかった。ホテルから持ってきたバナナとドーナツで飢えをしのぎ、何日かさまよった後、空き地の廃車の中で夜を明かした。


 翌朝、廃車の所有者だというパキスタン人男性のノックで目を覚ました。「失踪したのをニュースで見たと言われて驚いた」。悩んだ末に、近くの警察署へ向かった。逃避行を終えた場所は、名古屋から南西に30キロ以上離れた三重県四日市市だった。


 セチトレコがウガンダに帰国した7月23日は、くしくも五輪開幕日だ。「まるで犯罪者のように扱われていて、ショックで忘れられない」。母親のジュリエット(42)は、その日のことを涙目で振り返った。


 空港には多くの報道陣が押しかけ、ジュリエットも質問攻めになった。セチトレコはそのまま警察署に移送。「あの子は小さなおりに閉じ込められて体を丸めていた」


 ウガンダ警察は当初、日本で仕事を探すために五輪に出場すると欺いて出国したと疑い、セチトレコを厳しく取り調べた。しかし事情が判明するにつれて嫌疑は晴れていく。市民からも同情の声が上がり、ソーシャルメディアには「セチトレコを支えよう」との声が広がった。


 ほどなく釈放され、日本で一躍有名になったウガンダの青年の東京五輪は幕を閉じた。


 ▽熱と重み


 21年12月中旬、カンパラ郊外の民家の軒先に腰掛け、セチトレコは笑顔だった。腕には生後1カ月に満たない第1子の長男のジェシーが。その隣で妻のデザイア(26)がほっとした顔でつぶやいた。「帰ってきてくれて本当によかった」
 

ウガンダの首都カンパラ郊外で、長男ジェシーの顔をのぞき込みほほ笑むジュリアス・セチトレコ(左)と妻のデザイア。「この子はもちろん運動神経万能だよ」と、夫婦は自信満々だ=2021年12月17日撮影
ウガンダの首都カンパラ郊外で、長男ジェシーの顔をのぞき込みほほ笑むジュリアス・セチトレコ(左)と妻のデザイア。「この子はもちろん運動神経万能だよ」と、夫婦は自信満々だ=2021年12月17日撮影

 帰国後しばらくしてトレーニングを再開した。路上で卵を売り家計を支えた貧しい子ども時代。商品を抱えながら地元にあったジムを眺めていると、スタッフに声をかけられた。14歳から始めた重量挙げが夢を与えてくれた。バーベルを持ち上げる動作の一つ一つが「再生」への営みだ。


 時折思う。「あのまま日本に残っていたらどうなっていただろう」。不法就労で得た収入を送金し、家族を楽にできたかもしれない。仕事も財産も失った帰国後の生活は不安にあふれている。1回ごとのジム使用料5千ウガンダシリング(約160円)すら、工面するのは容易ではない。


 何が正しかったのかは分からない。それでも確かなことがある。


 「ウガンダに戻らなければジェシーには会えなかったし、また重量挙げに挑戦することもできなかった。僕は若い。妻や子どもと一緒にまだまだ五輪を目指せるさ」
 東京五輪に手が届きかけたトップアスリートが挑んできた巨大なバーベルと比べ、生まれたばかりの赤ん坊はあまりに軽い。だが穏やかに眠る背中は腕に温かい。か弱い息子を抱きながら、セチトレコは今、その命の熱と重みをしみじみとかみしめている。(敬称略、文・菊池太典、写真・中野智明)

 

◎取材後記「記者ノートから」

 「生きざま、家族、そして勝利のこと」。トレーニングの際に何が頭をよぎるのかと質問すると、ジュリアス・セチトレコは答えをゆっくりと紡いだ。一連の騒動から感情的な人物との先入観を持っていたが、実際はもの静かで実に思慮深い。
 「4歳で既に運動神経が抜きんでていた」と、母親のジュリエットは言う。11歳の時にはラグビーでウガンダのジュニアチームに選抜。英国遠征で獲得したメダルは今でも宝物だ。
 だが家が貧しくラグビーは続けられなかった。類いまれな肉体と精神が羽ばたくのを、貧困が妨げてしまった。
 「先進国の選手と同じ施設や境遇で技を磨けたら」。セチトレコの嘆きは、格差がつくるあらゆる機会の不平等について、人々に問いかけている。(敬称略、菊池太典)

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