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(3)シリア・フランス 「未来のアラブ人」へ歩む 二つのルーツ、悩んだ先に  仏語圏漫画の世界的作家 

2022.7.1 0:09 共同通信

 「おまえはフランス人じゃない」とシリア人の父が言った。遊び仲間は西欧的な外見を「アラブの敵のユダヤ人だ」とののしった。フランスとアラブ、二つのルーツに揺れた記憶は、幼い頃をシリアで過ごしたリアド・サトゥフの胸に刻まれている。


 あれから30年以上。サトゥフは、冷たい風の吹くフランス・ナントにいた。笑みを浮かべながら壇上に立つと、約千人のファンから嵐のような拍手がわき起こった。


 新作漫画の発表会だった。43歳になったサトゥフは「バンド・デシネ(フランス語圏の漫画)」の世界的作家だ。作品には流転の悲しみがある。それをユーモアと冷静な観察眼が包み込む。

 

フランス西部ナントの劇場で、ファンに笑みを絶やさずサインするリアド・サトゥフ(左端)。「人間は旅をするようにできている。文化はやがて混じり合う」と語っていた=2021年11月21日撮影
フランス西部ナントの劇場で、ファンに笑みを絶やさずサインするリアド・サトゥフ(左端)。「人間は旅をするようにできている。文化はやがて混じり合う」と語っていた=2021年11月21日撮影

 

 ▽故郷に思いはせ


 1978年、シリアからパリに留学した父と、フランス人同窓生の母の間で生まれた。故カダフィ政権下のリビアや故ハフェズ・アサド大統領統治下のシリアに移り住んだ。アラブ社会主義が色濃かった両国で、物不足の幼少時代を過ごした。


 教師の父は、息子が教育により旧社会の慣習から抜け出し「未来のアラブ人」になることを願っていた。だが少年の心をつかんだのは、フランスの祖母から送られた漫画「タンタンの冒険」(エルジェ著)だった。


 バンド・デシネの美しいデザイン。すすけたシリアの村で「これが人間の作品なのか!」と驚き、漫画家になりたいと、ペンを握った。


 10代でフランスに戻り、母の故郷ブルターニュ地方で暮らす。そこでも、アラブ人の名前をからかわれた。「時間が早く過ぎるように」と漫画を描き続けた。締め切りに追われる日本の漫画家がホテルで缶詰めになると聞き、「一日中漫画を描ける」とあこがれた。


 パリの美術学校で学んだ後、2003年にデビュー。さえない若者の日常を何本も描いた。後にイスラム過激派テロの標的となるパリの風刺週刊紙シャルリエブドでも連載を持った。


 シリアは11年から、民主化運動「アラブの春」で内戦に陥った。荒れた故郷に思いをはせ、サトゥフは14年、リビアやシリアの日々を描いた自伝漫画「未来のアラブ人」を出版する。


 ▽日本漫画の影響


 戸締まりを忘れると、自宅に他人が勝手に住み着くリビア。棒で手を打つ厳しい体罰があったシリアの小学校。


 怖かった割礼の日。好きだったおばさんのにおい。目のゴミを祖母が「目玉をなめて」取ってくれたアラブ流の愛情…。中東社会の人間模様を、奇妙さも優しさも記憶に忠実に描いた。


 ジャーナリストのようにリアルな描写は英米主要紙に「本物の回想録」などと絶賛された。15年、欧州最大規模のアングレーム国際漫画祭で最優秀賞を受賞。フランスで5巻まで出版、日本語を含め23カ国語に翻訳され300万部を記録した。


 バンド・デシネに詳しい翻訳家・原正人(はら・まさと)(47)は「2万部売れればヒットという業界だ」と、人気を驚く。「フランス人にとって中東は不可解な隣人。その姿を親しみやすく伝えた」


 「未来のアラブ人」は、日本の漫画から大きな影響を受けた。サトゥフは、故吾妻ひでおがホームレス経験を描いた「失踪日記」、「ゲゲゲの鬼太郎」の作者で、第2次大戦の時に片腕を失った故水木しげるが描いた戦争漫画を挙げる。


 心に深い傷を負った2人の作品から「よい距離感で自分のつらい経験を伝える方法があると知った。シリアの記憶も同じように表現できる」
 

 ▽大人になって
 

フランス・ナントの劇場で、リアド・サトゥフの新刊漫画を抱えるファン。地元紙記者は「どんな世代の人でも受け入れられる漫画家」と評す=2021年11月21日撮影
フランス・ナントの劇場で、リアド・サトゥフの新刊漫画を抱えるファン。地元紙記者は「どんな世代の人でも受け入れられる漫画家」と評す=2021年11月21日撮影

 新型コロナウイルスの巣ごもり生活で、日本の漫画市場は20年、過去最大となった。厳しい都市封鎖があったフランスでも、漫画人気が高まった。


 西欧から隔てられたシリアの村で漫画に夢中になったサトゥフは、コロナとの関係を考える。「つらいとき、世界の終わりだと感じる時、漫画を読むことは救いになるのかもしれない」


 ブルターニュ地方バンヌの書店。サトゥフのサイン会に約300人の老若男女が行列をつくっていた。“大人になった、漫画の主人公”のサインを、眼鏡の少年がうれしさで泣きだしそうな顔で受け取っている。「子どもの気持ちを分かってくれる。旅をしているような本」とコーム・ルグラン(12)は言う。


 かつてルーツに悩んだ少年は、もう一つの故郷で子どもの憧れの大人になった。映画監督としても成功した。


 シリア人か。フランス人か。たどり着いた答えは「描く人」だった。「二つの文化を選ぶことが難しい時、新しいアイデンティティーを見つけ出せばいい。日本の漫画家と話したら、同じ国の人のようだと感じたんです」と笑った。


 好きな言葉がある。「人間には根(ルーツ)は生えていない」。だからどこにでも行ける。歩みの先に「未来」が近づいている。(敬称略、文・高山裕康、写真・沢田博之)

 

◎取材後記「記者ノートから」

 新型コロナウイルスの感染拡大により、世界中で自由な移動が困難になった。だが、シリアなどアラブの人々は、コロナ以前から紛争や厳しい国境管理、保守的な宗教社会の制限にさらされ「壁」の中に閉ざされた日常を送っている。
 そんな社会で高い人気を誇る日本の漫画が、諫山創(いさやま・はじめ)の「進撃の巨人」だ。高い壁に閉じ込められた街で自由を求めて戦う主人公を描いた作品は、日本から遠いアラブの若者の心に響く。
 コロナ禍の巣ごもりで、日本でも漫画や小説、映画配信に救われた人は多いと思う。紛争でも感染対策でも「壁の中」という苦しさは重なる。自由に動けない苦しさを世界の人々が共感し合える時代だ。壁を越えてなお届く物語と、それを生み出す「描く人」たちにお礼を伝えたい。(敬称略、高山裕康)