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「平穏生活権」で救済を   視標「ネットの誹謗中傷」

弁護士 神田知宏

 プロレスラー木村花さんの死を巡り、インターネットの誹謗(ひぼう)中傷に関する議論が高まっている。規制、発信者特定の迅速化、プラットフォーマーの責任、といった内容が話題の中心である。私自身も思うところはあるが、まず議論の出発点を確認しておきたい。それは「ネットの誹謗中傷」はなぜ問題なのかという点である。

 私は日々、ネットの誹謗中傷を裁判所に持ち込み、裁判官の判断を仰いでいる。削除すべき違法な記事か否か、投稿者を開示してもよい記事か否かという判断である。

 被害者の悲痛な思いはときとして裁判官に打ち砕かれる。「この程度は名誉毀損(きそん)ではない」「この程度は侮辱ではない」「受忍限度(我慢すべき範囲)である」―現在運用されている法制度の下で裁判官はそのように断ずる。裁判例によれば「死ね」は侮辱だが「消えてほしい」は侮辱ではない。個人の感想表現であり、名誉毀損にならないと反論するプラットフォーマーも珍しくはない。

 しかし、その結論で良いのか。法は人間社会のルールであり、すべての人が共存していくためのルールである。自ら命を絶つほど苦痛を受けている人もいるのに、果たして法が「受忍限度」だと言い切って突き放してよいものだろうか。これは、私が日々の業務を通じて感じていることである。

 命を絶たないまでも、心を病んで日常生活に支障を来している人は大勢いる。夜も眠れない人、外出できなくなった人など、症状はさまざまだが、みな一様に平穏な生活ができなくなっている。

 ここに「ネットの誹謗中傷」問題の根源がある。名誉毀損や侮辱といった小さな枠組みではなく、そもそも「平穏な生活」ができない、人格的生存ができないという視点で問題点を整理すべきように思う。

 ネットの投稿に関するものではないが、嫌がらせや非難攻撃を繰り返し受けた事件について「平穏生活権」という考え方を使う最高裁の判例がある。ネットの誹謗中傷も嫌がらせや非難攻撃を繰り返し受けるものであれば、平穏生活権を侵害すると捉えて救済することはできないだろうか。

 今般の対処方法の議論に際しても、どうすれば被害者の平穏な生活が取り戻せるかとの視点が必要だろう。リアル社会と異なり、ネットの誹謗中傷は、いつでも、どこにいても、スマートフォンを開けば手の中にある。放っておいても消えることはない。これが平穏な生活の支障になることは想像に難くない。

 そうであれば、迅速化すべきは、総務相らが言う投稿者の特定手続きより、削除手続きだろう。リベンジポルノ防止法では、削除手続きは迅速化されており参考になる。

 もちろん、表現の自由の視点が必要であることは言うまでもない。政治家が誹謗中傷を受けたと主張し、自分に対する非難を消して回るようなことはあってはならない。他方で、公的な立場にない一般人の平穏な生活を害してまで守るべき個人の感想とは、どのような性質のものかは、やはり検討せねばなるまい。

 裁判手続きが利用されるとしても、裁判官は「受忍限度」という言葉を重く受け止め判断してもらいたい。“このくらい我慢せよ”というのは、多くの場合、手厳しい。

 (2020年5月29日配信)

プロフィール:かんだ・ともひろ 1966年石川県生まれ。2007年弁護士登録(第二東京弁護士会)。最高裁が17年に検索結果の削除基準を示したグーグル裁判で、削除を求めた人の代理人を務めた。

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