×
メニュー 閉じる メニュー

さまよう日大フェニックス 険しい再建への道のり

2021.11.30 15:02 宍戸 博昭 ししど・ひろあき
東大戦の試合後、観客席に向かってあいさつする日大の選手たち=11月28日、アミノバイタルフィールド
東大戦の試合後、観客席に向かってあいさつする日大の選手たち=11月28日、アミノバイタルフィールド

 

 異色の経歴と本場仕込みのプレースタイルに注目し、個人的に応援していた日大の選手から「フェニックスを退部した」という報告があったのは、立教大に負けて3敗目を喫した翌日だった。

 

 橋詰功前監督(立命大OB)が指導をしていた春の試合では、レギュラー組に入っていた彼は、秋のシーズンでは出場機会を与えられなかった。

 アメリカの短大を卒業し日大に編入学した彼を取り上げた小欄の記事が影響して、新体制で冷や飯を食わされているのではないか。

 そんな疑念を本人にぶつけたところ、それは「自分の実力不足」と否定し「7月に他界した祖父は、記事をプリントアウトして何度も読み返し、とても喜んでいました」という返信があった。

 

 橋詰前監督の退任を受けて9月に発足した新体制下で、フェニックスはリーグ戦で3連敗した。

 7、8位決定戦で東大に勝ったものの、現行のリーグ編成になった2014年以降では、16年の4位を下回る最低順位である。

 昨年、関東代表として甲子園ボウルに出場したフェニックスが、チームの象徴である上下赤のユニホームを、一度も着ることなくシーズンを終えた。

 

 東大戦の後、日大の平本恵也ヘッドコーチ(HC)が、チームを立て直すための最重要課題に挙げたのが「指導体制の見直し」である。

 9月。指導者としての経験がない平本HCのサポート役として「悪質な反則タックル問題」で辞任した元監督とともにチームを去った大学職員のOBコーチが数人復帰した。

 

 だが、ブランクも影響したのだろう。サイドラインでのやり取りを見る限り、学生とのコミュニケーションが円滑にとれているとは到底思えない光景が、目の前に広がっていた。

 東大戦ではコーチではなく学生がスポッター席に座り、プレーコールをしていた。それは、大人の事情に翻弄され続けた学生が示した抗議行動のように思えた。

 

 「今年はふがいない成績で申し訳ありませんでした。来年は後輩たちがチームを立て直すので、これからも日大フェニックスをよろしくお願いします」

 菅原大斗主将が観客席に向かって発した言葉に、胸が締め付けられた。

 

 平本HCは「ゼロベースで考えてコーチ陣の新体制を整えたい。手伝ってほしいと思う人に声をかけ、協力してもらうつもり」と言った。

 

 OL対DL、WR対DB、RB対LB、QB対QBが逃げることなく正面からぶつかるワン・オン・ワン。平本HCは東大戦に向けて、あえて選手を追い込む練習メニューを取り入れた。

 「(初戦の)法大戦からそうだったが、本気でやり切れないで様子を見てしまうところがあった。そこで、こういう時期ではあるが思い切り当たって勝負をはっきりさせる練習をした」

 34歳の若きリーダーの、来季に向けた意欲が伝わってきた。

立教大戦で得点した選手たちをサイドラインで迎える日大の平本恵也HC=撮影:横田航洋
立教大戦で得点した選手たちをサイドラインで迎える日大の平本恵也HC=撮影:横田航洋

 

 東京・桜上水にある練習グラウンドのクラブハウスで、勤務する富士通の仕事をテレワークでこなしながら、学生の指導に当たる日々。

 タックル問題を契機に、その後新型コロナウイルスの感染拡大の影響などもあって中断しているライバル関学大との春の定期戦の復活も視野に入れている。

 「関学さんはまだシーズンの最中。リスペクトしているチームとの定期戦の再開は、タイミングを見て打診したい」

 

 新体制で「監督」を置かなかったことに、さまざまな臆測が飛び交う中、さまようフェニックスの再建を託された平本HCの信念に、揺るぎはない。

宍戸 博昭 ししど・ひろあき

名前 :宍戸 博昭 ししど・ひろあき

プロフィール:1982年共同通信社入社。運動記者として、アトランタ五輪、テニスのウィンブルドン選手権、ボクシングなどスポーツ全般を取材。日本大学時代、「甲子園ボウル」にディフェンスバック、キックオフ、パントリターナーとして3度出場し、2度優勝。日本学生選抜選出。NHK―BSでNFL解説を20年以上務めている。

最新記事