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「不要不急」の先の世界 暮らしの想像力を広げる  磯野真穂さん(文化人類学者) リレー評論「解読パラリンピック」

2021.8.27 7:00 共同通信

 暮らしというものをもっとみんなが大事にしたら、その暮らしを破壊するものに対しては戦うんじゃないか―。(津野海太郎著「花森安治伝―日本の暮(くら)しをかえた男」)

磯野真穂さん
磯野真穂さん

 大政翼賛会のメンバーで、かの有名な標語「ぜいたくは敵だ!」の誕生に関わったと言われる花森安治の言葉だ。1948年から今に至るまで続く「暮しの手帖」の初代編集長の花森は「暮らし」という言葉に並々ならぬ決意を込めていた。

 「ぜいたくは敵」に象徴される太平洋戦争中のありとあらゆる日常の否定。それを戒めるため東京などの重点都市で配布される「自粛カード」。一つの大義のために暮らしを諦めることが絶対正義とされてゆく。その顚末(てんまつ)をこれでもかというほど見せられた花森は、「一人一人が自分の暮らしを手放さないように」という願いを込めこの雑誌を創刊した。

 さて、それでは「暮らし」とはなんだろう。昨今のはやりの言葉を使えば、語る、踊る、食べる、集うといった、小さな「不要不急」の組み合わせがそれである。だからこそ、ある大義を前にすると暮らしをつくる一つ一つの素材は「どうでもよい」「ぜいたく」と一蹴される。

 スポーツの語源をたどると「余暇」と解釈できる。でもその余暇は単にくつろぐことを意味しない。工夫と挑戦と努力が存在する。速く走ろうとすること、より高く跳ぼうとすること。そこにそれ以上の意味はない。しかし己の限界を超え出ようという「余暇」に全力で興ずる人々の姿は、それ自体が隠喩として、その余暇の外側に響く。

 64年に東京で開かれ、パラリンピックの名を広めるきっかけとなったとされる東京パラリンピックは、まさにそのような場であった。佐藤次郎著「1964年の東京パラリンピック すべての原点となった大会」によれば、この大会は、おしめをつけて家に閉じこもるしかないと思われていた脊髄損傷者の暮らしに対する世間の思い込みを覆し、障害者の就労支援を加速させるドライブとなり、「健常者」と同じ暮らしを送ることをすっかり諦めていた日本人選手たちの意識を変えた。余暇を突き詰めた先に、余暇の外側の世界のありようを変える力が芽生えた。

 あれから半世紀以上が経過した。オリンピックとパラリンピックにこれほどの逆風が吹いたことがあっただろうか。不透明な金の流れ、危機管理体制の矛盾といった構造はもちろん批判されるべきだ。しかし声援を送ることすらはばかられる雰囲気、出場選手に罪悪感すら抱かせる今の空気はいかがなものか。だからこそ、私は選手たちに次のエールを送りたい。

 皆さんの全力の余暇が、観客の暮らしの想像力を広げますように。そして何よりも、あなたの暮らしに人生最高の一瞬が訪れますように。

 頑張ってください。
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 いその・まほ 1976年長野県生まれ。国際医療福祉大准教授を経て独立。著書に「ダイエット幻想」、共著に「急に具合が悪くなる」。