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「とにかく秘匿」やめよう  公共情報、意義明確に   視標「土石流不明者の氏名公表」

専修大教授 澤康臣

 静岡県熱海市の大規模土石流で、同県が行方不明となった人々64人の氏名を公表したのは、発生3日目の5日夜だった。災害の度に持ち上がる「情報開示」と「個人情報保護」のせめぎ合いが推察されるが、今回の公表後、不明者本人や家族から市に次々と連絡が入り、不明者数は半分以下になったことで公表の意義は明確になった。

 個人情報であっても同時に公共情報というケースといえる。文脈を問わない「とにかく秘匿」の過剰な意識から脱却しつつ、個人情報保護が何のため、どんな場面で大切かを真に議論する時が来たと言うべきだろう。

 今回のようなケースで自治体が「個人情報は全て不開示」と思考停止に陥り、不明者情報を隠し続ければ、救助現場の混乱を助長する。助かる命も助からなくし、その結果の犠牲者を生む。

 静岡県は今回、不明者公表に先立ち、ドメスティックバイオレンス(DV)被害者関連情報の有無を確認した。公表を原則としつつ機微な情報の暴露は避ける策を追求したといえる。

 DVのような特別な事情がない場合、「この人が災害の不明者だ」と公表することは、個人情報の問題ではあっても、プライバシー侵害と直ちには言い難いだろう。

 個人情報とプライバシーは別概念で、プライバシーは「私的な秘密」だ。大規模自然災害は社会的、公共的な出来事で、巻き込まれ行方不明となったことは不幸な出来事とはいえ私事とはいえない。歴史の一部ともなろう。当事者の意思と関係なく、パブリック(公共公開)の情報とみる余地が大きい。

 こうした災害での行方不明情報、さらには誰が亡くなったかという情報は、何よりコミュニティーの重要な基礎的公共情報といえる。これらの適切な開示は、社会で何が起きたか市民が具体的に知り、連帯と意思疎通がしやすい社会をつくり、市民自治、民主主義の基盤になる。「市民同士は知らないが、官は全てを知っている」というお任せ統治の逆概念である。

 今回議論になった救助の効率化という明白な効能にとどまらず、今後は民主主義と市民自治の考えからも、自治体は「個人情報でもあり公共情報でもある」情報の開示の意義を議論すべきだろう。

 このことで思い出されるのがインドネシア・スマトラ沖地震の津波(2004年)によるスウェーデン人不明者の氏名公表だ。同国の不明者565人の氏名を政府は一時非公表としたが、メディアの申し立てに基づく司法判断を受け公表した。

 AP通信によると、裁判所は「ある人がスウェーデン人に人気のリゾート地にいて自然災害に遭った」という情報は、秘密に立ち入るものではない―との考えを示し、公表後メディアは氏名を報じた。

 日本ではまだパブリック・インフォメーションとしての「公共情報」の概念が希薄にみえる。公共と言えば「官」と勘違いしやすく、パブリックの語が意味する「民」の共有物という考えはなかなか浸透しない。

 今後、行方不明者名をはじめ、市民に開示することがふさわしい情報について「公共情報」の概念を深められるよう、まずは議論が必要だ。

 (2021年7月9日配信)

プロフィール:さわ・やすおみ 1966年岡山市生まれ。東大卒業後、共同通信記者となり、社会部やニューヨーク支局などに勤務。昨年から現職(新聞学)。著書に「グローバル・ジャーナリズム」など。

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