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田中希実に心を揺さぶられた 93年ぶりに陸上女子中距離入賞

2021.8.7 13:00 共同通信
女子1500㍍決勝 3分59秒95の8位でゴールした田中希実
女子1500㍍決勝 3分59秒95の8位でゴールした田中希実
 心を揺さぶられるレースだった。陸上女子1500メートルで21歳の田中希実が堂々の8位入賞。準決勝でマークした3分59秒19の日本記録にはわずかに及ばなかったが、2度目の4分切りを果たし、五輪新が生まれたレースで世界の強豪と互角に渡り合った。
 ▽好位置キープ、粘り切る
 決勝前の選手入場では「一人一人登場させてもらえるとは思わなかった。スタートまですごく楽しむことができた」と両手を挙げて笑顔だった。スタートラインでは武芸者を思わせる厳しい表情に変わっていた。いつもは後方待機の優勝候補、ハッサン(オランダ)が早めに先頭に立つ速い展開でも常に好位置をキープ。6番手で通過したラスト1周も懸命に先頭集団を追った。残り150メートルから順位を落としたが、ひときわ小柄な153センチの田中は粘り抜いた。
 力を出し切ったのだろう。準決勝までは激しいレース後もけろりとしていたが、フィニッシュ後はトラックに座り込み、ほどなく、日の丸を掲げてカメラマンの注文に応えた。
 女子のトラック中距離では1928年アムステルダム大会800メートル銀メダルの人見絹枝以来、93年ぶりの歴史的な入賞である。日本は中距離走の層が薄く、72年大会から五輪に採用された1500メートルでは今回の田中が初出場だった。
 日本選手は世界レベルにある長距離種目でも外国勢のペースの上げ下げには弱い。平均ペースを崩されて、ずるずると後退する場面を何度見てきたことか。その点、田中は自分でレースを組み立てることもできるし、ペース変動にもしっかり対応できる。5000メートルでは予選通過にわずかに届かなかったが、自己最高の14分59秒93をマークした。
 ▽「マラソン・駅伝至上主義」に一石
 田中の奮闘は、「マラソン・駅伝至上主義」の中長距離界に一石を投じた。中学、高校で中距離に非凡な才を見せても「日本人は中距離では通用しない」と切り捨てられ、実業団、大学では駅伝、マラソンへの転進を余儀なくされるのが日本の現状。ランナーの距離適性を見極めるのは簡単ではないが、たいていの場合は適性にはお構いなく進路は絞られてしまう。日本陸上界の強化方針が偏っているのだ。
 その弊害を免れた要因は、元実業団ランナーだった父の健智さんの存在。田中は同志社大進学後も、豊田自動織機トラッククラブに所属し、父のマンツーマン指導で力を伸ばした。母の千洋さん(旧姓小倉)も市民ランナー育ちから北海道マラソンで2度優勝した元選手。陸上一家の後押しもあった。
 健智さんの練習メニューは、トラックの中距離でのスピードを向上させ、長距離も走り切れるスタミナも養うというハードな内容。田中は1日で複数のレースをこなすなど、今季だけで20レース以上に出場して精力的に各種目へ取り組んだ。父と娘が信念を曲げず、大舞台で世界を驚かせる成果を出したことは、野球のイチローさんやゴルフの宮里藍さんの成長期を思い起こさせる。
 ▽非凡な知力、判断力
 もうひとつ田中の非凡さは知力、判断力に秀でていることだ。本人の弁では「大きな舞台になると人格が変わる感じ」となるが、冷静に自分を客観視し、レースの流れを的確につかんでギアを入れ替える。
 準決勝後のインタビューでは「4分を切らないと決勝は難しいと思っていた。自分が切れるかどうかは別として、今の全力をぶつけようと思った」と話し、スタート直後から先頭に立ったことを聞かれると「1レーンの空間が空いていたので、すっと出られた。1周目は今まで入ったことがないペースだったが、そこまできつくなかった。日本記録も更新できるし、4分も狙えると思って気持ちを乗せながら走れた」。心身が消耗する1500メートルのレース直後、これほど理路整然と自己分析できるランナーを知らない。
 決勝に向けては「スローな展開になることが多いので、ラスト1周にこだわって走りたい」と話していたが、想定とはまるで違う展開にも慌てず対応し、臆することなく持てる力を出し尽くした。
 決勝レース後のインタビューでは「予選、準決勝ほどラスト300(メートル)が動かなかった。しんどすぎて最後は一瞬、意識が飛んでいる部分があって、きついけど粘ることがそこまでできていなかった。最後まで前を追えるスタミナをつけていきたい」と話した。
 快挙の要因を聞かれると「自分の中の常識を覆すことができたのは、五輪という舞台が大きかった」と説明しながらも「次は入賞以上の、最後まで優勝争いにからめるように最初の入りの余裕と最後のスプリントを磨いて、もっとタイムを伸ばしたい」。まるで解説者のように今後のテーマを次々と列挙した。(スポーツエディタ―・船原勝英)