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「フットボールはラインの勝負」 父は元京大主将、東大OL屋敷昌尭

2021.6.8 7:34 宍戸 博昭 ししど・ひろあき
親子2代でOLとしてプレーする東大の屋敷昌尭=6月6日、富士通スタジアム川崎
親子2代でOLとしてプレーする東大の屋敷昌尭=6月6日、富士通スタジアム川崎

 

 激しい当たりで目の前の相手を圧倒し、さらに次のブロッキングターゲットを探してダウンフィールドを駆け上がる。

 東大の3年生オフェンスライン(OL)屋敷昌尭(やしき・まさたか)=179センチ、111キロ=は、1987年度にチーム史上唯一の甲子園ボウル、ライスボウル連覇を達成した京大「ギャングスターズ」の主将だった屋敷利紀さんの次男である。

 

 6月6日、富士通スタジアム川崎で行われた法大との春のオープン戦。昨年からレギュラーポジションを任されている屋敷は、右のガードで先発出場した。

 ブロッカー役としてチームのキーであるランニングプレーをリードしたが、試合は9―36で敗れた。

 「アメリカンフットボールをしていて楽しいと思うのは、相手にヒットして押せたとき。とても気分がいい」と、最前列での攻防の醍醐味を語る。

法大戦でブロックに向かう東大のOL屋敷昌尭(74)=撮影:小野大介
法大戦でブロックに向かう東大のOL屋敷昌尭(74)=撮影:小野大介

 

 大学に入っても、東京・巣鴨高で取り組んだハンドボールを続けるつもりだった。

 「なぜアメフト部に?」という問いには「新歓(新入生歓迎会)に行ってみたら、面白そうだったので入部することにした」という答えが返ってきた。

 「父親に憧れて」というコメントを期待したこちらの思惑は見事に外れた。

 

 日本の学生アメフト界で一時代を築き、同じOLだった父親とは「あまりフットボールの話はしない」という。

 それでも「テクニック的なことは、たまに教えてもらう」そうで「父が出場した甲子園ボウルは、ビデオで見たことがある。京大はスピードとパワーがあった」と、淡々と話してくれた。

 当時の京大は攻守に人材がそろい、「怪物」と言われたQB東海辰弥選手にボールをスナップしていたのが利紀さんだ。

 

 京大で〝5年生コーチ〟を務め、卒業後は日本銀行に就職。現在は日銀を退職し、金融庁の幹部として、日本の金融行政の中心で辣腕を振るっている。

 その利紀さんとは、87年の甲子園ボウルのテレビ解説をした縁もあり、今でも時々新橋で一杯やっている。

京大時代の屋敷利紀さん
京大時代の屋敷利紀さん(71)

 

 「息子ですか? 大学に入ったらアメフトどころか、スポーツなんか絶対にやらせませんよ」

 何年か前にそう話していたが、やはり可愛い息子の試合は気になるのだろう。当然である。

 試合会場で、人目を避けるように東大の試合を観戦している姿を目撃したことがある。

 188センチの大きな体は、どこにいても隠しようがなかった。

 

 東大の森清之ヘッドコーチは、利紀さんとは京大の同期で、守備の要として日本一に貢献した経歴の持ち主だ。運命的な巡り合わせである。

 森さんの屋敷評はこうだ。「研究熱心で努力家。運動神経も発達しているし、何よりずぶといところが頼もしい。もちろん、お父さんをよく知っているからといって特別扱いすることはない」

先発2年目の東大OL屋敷昌尭=撮影:小野大介
先発2年目の東大OL屋敷昌尭=撮影:小野大介

 

 父親同様、大学から始めたアメフトの魅力に取り憑かれた屋敷は言う。

 「東大が甲子園ボウルに出場するためには、とにかくOLで勝つことが大切。バックスは、その時の人員構成でどうしようもない部分がある。自分たちのストロングポイントはラン。今日もそれなりにゲインしていたランが出れば、試合展開が楽になる。フットボールはラインの勝負だと思っている」

 負けず嫌いは父親譲り。闘志を内に秘めた好漢が、親子2代での甲子園ボウル出場の夢を追う。

宍戸 博昭 ししど・ひろあき

名前 :宍戸 博昭 ししど・ひろあき

プロフィール:1982年共同通信社入社。運動記者として、アトランタ五輪、テニスのウィンブルドン選手権、ボクシングなどスポーツ全般を取材。日本大学時代、「甲子園ボウル」にディフェンスバック、キックオフ、パントリターナーとして3度出場し、2度優勝。日本学生選抜選出。NHK―BSでNFL解説を20年以上務めている。

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