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先生は二つの夢かなえた ホッケー・岩尾幸美 【わが街 オリンピアン 大分県】

2021.6.2 15:00 共同通信
2012年ロンドン五輪ホッケー女子の南アフリカ戦で攻め上がる岩尾幸美(共同)
2012年ロンドン五輪ホッケー女子の南アフリカ戦で攻め上がる岩尾幸美(共同)
 大分県西部の玖珠郡(玖珠町と九重町)はホッケーどころ。10月下旬、玖珠町内でのホッケー大会に岩尾幸美(43)の姿があった。アテネ、北京、ロンドンと3大会連続で五輪出場を果たした地域のレジェンドだ。
 九重町出身。故郷で中学の保健体育教諭をしながら日本代表に名を連ね続けた。身長152センチと小柄だが、抜群の運動量とスピードで世界と渡り合い、代表試合数276キャップを誇る。今もクラブチームでプレーを続ける。
 地元の森高(現玖珠美山高)のホッケー体験で「終始動き回る爽やかなスポーツ」を実感。入部を決めると、すぐに頭角を現した。3年時にユース日本代表、天理大に進学以降は日本代表のキャリアを重ねた。卒業後は実業団からの誘いもあったが、五輪出場と「もう一つの夢」だった教員の道へ。地元にこだわり、古里から五輪を目指す覚悟を決めた。
 地方での競技生活は想像以上に厳しかった。高校時代の恩師で、大分県ホッケー協会理事長の山崎隆典さん(66)は「まだグラウンドがなく、練習相手もいない。苦労の方が多かった」と当時を振り返る。
大分県
 

 代表合宿などで学校を離れることもしばしば。「子どもたち、仲間に迷惑を掛ける」と悩み、辞職を考えたことも。だが「支えてくれた人たちにまだ恩返しできていない」と踏みとどまり、力と技を磨き続けた。2004年、アテネ五輪の最終予選を突破して二つ目の夢をかなえた。

 「田舎でも頑張れば、五輪出場はできる」。岩尾が切り開いた道は後輩たちの励みに。くす星翔中で指導を受ける女子ホッケー部主将の梶原友唯(14)は「憧れの存在。私も先生のようになりたい」と目を輝かせた。(大分合同新聞社=江藤伸彰記者、2019年11月13日配信、所属肩書は当時)