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高い壁、でも諦めない 棒高跳びの我孫子智美 【わが街 オリンピアン 滋賀県】

2021.4.17 19:00 共同通信
2012年6月の陸上日本選手権女子棒高跳びで4㍍40の日本新をマークした我孫子智美=大阪市の長居陸上競技場
2012年6月の陸上日本選手権女子棒高跳びで4㍍40の日本新をマークした我孫子智美=大阪市の長居陸上競技場
 ロンドン五輪開幕が1カ月半後に迫った2012年6月、大阪で開催された陸上の日本選手権。女子棒高跳びの我孫子智美(あびこ・ともみ)(31)は「1週間前から(練習で)体が浮いている」と手応えを感じていた。予感通り、自己記録を15センチも上回る4メートル40の日本新。ラストチャンスで五輪切符をつかんだ。
 大舞台は4メートル25で予選敗退。「楽しかっただけでは終わりたくない」と4年後、リオデジャネイロ五輪での決勝進出を誓った。だが、右脇腹などのけがが続き、2大会連続出場はならなかった。
 滋賀県草津市生まれの我孫子は同志社大卒業後、滋賀レイクスターズの職員として働きながら競技を続けてきた。レイクスはプロバスケットボールの球団運営とは別に、企業や個人からの寄付を基に地元選手を援助するスポーツ基金を設立。我孫子も支援を受け、陸上スクールや事務の仕事を終えた後、主に1人でトレーニングを積み東京五輪を目指している。
 小学生を指導するようになったのは、リオ出場を逃し「モチベーションがプツンと切れた」頃だった。これまで大会で獲得したメダルを見せたら、目を輝かせ「もっと取ってきて」とねだられた。純粋にスポーツを楽しむ子どもたちと接し「初心に帰ることができた。スクールで教えていなかったら競技をやめていたと思う」と振り返る。
滋賀県
 

 東京五輪出場のためには参加標準記録の4メートル70を跳ぶか、主要大会で日本記録前後の成績を何度か出して世界ランキングを上げる必要がある。高くそびえる“壁”に見えるが、我孫子は諦めず、前を向く。「応援してくれる地元の方々やスクール生のためにも、もう一回ちゃんと跳びたい。まだまだ成長できるはず」(共同通信=楠晃郎、2019年9月11日配信、所属肩書は当時)