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「魔女」と呼ばれて 回転レシーブでバレー金 【わが街 オリンピアン 大阪府】

2021.4.4 14:00 共同通信
故郷の大阪でママさんバレーの指導に当たる1964年東京五輪金メダリストの谷田絹子=大阪府池田市
故郷の大阪でママさんバレーの指導に当たる1964年東京五輪金メダリストの谷田絹子=大阪府池田市
 1964年東京五輪で日本が金メダルに輝いた女子バレーボール。「東洋の魔女」と呼ばれた12人のうち、レギュラー全員を含む10人が大阪府南部の貝塚市で活動した日紡貝塚の選手だった。

 エースアタッカーの谷田絹子(79)は池田市生まれで、高校生の時から日紡の合宿に参加した。大松博文監督に「一番しごかれ、怒られた選手」を自認する。練習は仕事を終えた午後3時から早くて午前0時、時には明け方まで続いた。

 「人道問題だ、と会社の労働組合が抗議に来た」と明かすが、監督が手を上げることはなかったという。腰に座布団を巻き、監督が娘のおもちゃの「起き上がりこぼし」をヒントに編み出した回転レシーブを完成させた。

 日曜の午後は練習休み。谷田は実家で羽を伸ばすこともできたが「遠い所から来て、帰りたくても帰れない仲間が大勢いる」と寮に残った。

 遠征のバスで男子選手と話をしただけで監督ににらまれた。息抜きは月に1度、みんなで南海電車に乗ってミナミの繁華街へ遊びに行くこと。「西部劇が好きな大松先生に映画の新聞広告を見せると、優しい顔で『用意せえ』」。“仏の大松”のおごりで映画や食事を楽しみ、絆を強めた。

大阪府
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 「鼻がとがった意地悪な人みたい」。若い頃の谷田は「魔女」の愛称が嫌だった。だが、年を重ねるにつれ「人のできないことができる人」と誇りを感じるようになった。結婚後、宮崎県日南市で開いた飲食店の名は「魔女」。現在は池田市でママさんバレーの指導に当たる。「あの魔女さんですか?」と問われると「おばあさんだから婆女(ばじょ)よ」と笑顔で答える。(共同通信=楠晃郎、2019年4月30日配信、所属肩書は当時)