体操ニッポン支えた鶴見 金4個の北島も下町育ち 【わが街 オリンピアン 東京都(下)】

2021年03月29日
共同通信共同通信

 

ローマ五輪の男子体操で鶴見修治(前列左端)ら日本チームは団体総合初優勝など、9個のメダルを獲得した=1960年9月10日(共同)
ローマ五輪の男子体操で鶴見修治(前列左端)ら日本チームは団体総合初優勝など、9個のメダルを獲得した=1960年9月10日(共同)
1964年の東京五輪で日本は歴代最多の金メダル16個を獲得した。ただ、地元東京出身の金メダリストとなると体操の鶴見修治(81)だけだ。


 高校2年から体操を始め、22歳で60年ローマ大会出場。男子団体総合でソ連を破り、初優勝した。モノも情報も乏しかった時代に「高校時代から大学のトップ選手と練習し、最新の技やトレーニング法を学ぶことができた」と東京生まれの“地の利”を強調する。


 東京大会で団体2連覇、個人総合2位など五輪の表彰台に計6度立ったが、実は鶴見の手元に金メダルはない。当時体操団体のメダルはチームに1個との規定があり、日本体操協会の金庫に保管されているという。「博物館などに展示し、みんなに見てもらえたらうれしいのだが」。体操ニッポンの功労者は唯一の心残りと苦笑する。


 国学院高、日本体育大、河合楽器と鶴見と同じ道を歩み、バトンを引き継いだ塚原光男(71)は「月面宙返り」で世界を驚かせて金メダル5個。長男直也(41)は2004年アテネ大会の団体で優勝し、日本初の親子金メダリストとなった。


 競泳の北島康介(36)はアテネ、北京で平泳ぎ連続2冠を達成し「チョー気持ちいい」は流行語になった。塚原は北区、北島は荒川区育ち。浅草生まれの鶴見も含め東京の“メダルコレクター”には下町っ子が多い。


 女子選手ではアーティスティックスイミングの小谷実可子(52)、レスリングの浜口京子(41)らが開会式で日本選手団の旗手を務めた。サッカーの澤穂希(40)は4度目の五輪となった12年ロンドン大会で準優勝し、念願のメダルを手にした。(共同通信=楠晃郎、2019年4月10日配信、所属肩書は当時)