【伝える 訴える】第47回(ドイツ) 「『わが闘争』復刊」

2017年03月02日
共同通信共同通信

ヒトラー著作の魔力を解く 悲劇を繰り返さぬために

ドイツ・ミュンヘンの書店で販売されるアドルフ・ヒトラーの著作「わが闘争」(中央の4冊)。同国では第2次大戦後初めて再出版されたが、発売までに再出版や販売の是非を巡り激しい論争が続いた(撮影・澤田博之、共同)
ドイツ・ミュンヘンの書店で販売されるアドルフ・ヒトラーの著作「わが闘争」(中央の4冊)。同国では第2次大戦後初めて再出版されたが、発売までに再出版や販売の是非を巡り激しい論争が続いた(撮影・澤田博之、共同)

 黒ずんだ壁が重い歴史を物語る。ドイツ南部ミュンヘン近郊のランツベルク刑務所。アドルフ・ヒトラーがワイマール共和制打倒を目指した1923年のクーデター「ミュンヘン一揆」に失敗し、収監された場所だ。独房での時間を理論武装に使い、独裁者に上り詰める端緒をつかんだ。

 ナチスの反ユダヤ主義の基礎となった著書「わが闘争」はここで生まれた。アーリア人優越思想を掲げ、「生存圏」確保のため東方進出を主張した著書は、第1次大戦後の混乱と世界恐慌に苦しむ国民に浸透し、約1200万部の大ベストセラーとなる。

 国民の支持を得たナチスは33年に政権を奪取。第2次大戦を引き起こし、約600万人のユダヤ人を虐殺、欧州に破滅的な戦火をもたらした。

 
 

 ▽注釈付き2千ページ

  「この本の魔力を解かなければならない」。ミュンヘンの書店経営者で52歳のミヒャエル・レムリングの視線の先に、ドイツで第2次大戦後、初めて再出版された「わが闘争」が積まれていた。

 ナチス研究で知られる「現代史研究所」のプロジェクトチームが、原文を詳細に検証。大量の注釈を加え、ユダヤ人排斥や領土拡大の主張が根ざすうそや論理のすり替えを暴いた。

 原文は約800ページだが、1ページに対し注釈が3ページに及ぶこともあり、新刊は2巻で約2千ページに膨らんだ。表紙はグレーでヒトラーの写真などは印刷せず、題字だけの地味なデザインにした。

 原文で、ヒトラーは「ユダヤ人が売春や少女売買を支配している」と主張したが、注釈は1910年当時に特定されていた少女売買業者を分析し、ユダヤ人の支配はなかったと解説した。

 また「(ユダヤ人の)うそのうまさに感服」とした部分は、具体的情報が書かれておらず「(ヒトラーの)想像の産物」と一刀両断にしている。

 現代の歴史家がヒトラーに正面から挑んだ力作だが、ドイツでは今年1月の発売まで是非を巡り論争が続いた。

 販売を拒絶したり、注文販売に限定したりした書店もあり、レムリングは思い悩んだ。「この本を置いて良いものか」。2015年11月、プロジェクトチームを率いる歴史家で57歳のクリスティアン・ハルトマンを招いて、書店でシンポジウムを開いた。

アーリア人優越思想を掲げたナチスの重要拠点だったドイツ・ミュンヘンの中央駅を歩く人たち。2015年には大量の難民がこの駅に到着し、市民が拍手で出迎えた(撮影・澤田博之、共同)
アーリア人優越思想を掲げたナチスの重要拠点だったドイツ・ミュンヘンの中央駅を歩く人たち。2015年には大量の難民がこの駅に到着し、市民が拍手で出迎えた(撮影・澤田博之、共同)

 ▽曲折たどって

 「わが闘争」はこれまでも何度か再出版の話が持ち上がったが、ヒトラーの生前の住民登録先として著作権を保有するバイエルン州当局が阻止してきた。だが、著者の死後70年間保護される著作権が15年末に切れ、第三者の出版が可能になる。ハルトマンはシンポで、ネオナチなど極右勢力による悪用を避けなければならないと出版の意図を説いた。

 説明を聞き、レムリングは歴史家が注釈を付けた「わが闘争」を早急に定着させる必要があると考えた。「店に置いたのは正解だった。よく売れたが、購入客の中に懸念されたネオナチはいなかった」

 注釈付きの再出版については1970年代から、歴史家の間で求める声が出ていた。古本屋で原本数十万部が出回り、インターネットでも読むことができたためだ。現代史研究所は80~90年代に、ヒトラーの演説や著書の全集を刊行。だが「わが闘争」だけは、バイエルン州の許可を得られず出版できずにいた。

 同研究所副所長で52歳のマグヌス・ブレヒトケンは「この本の象徴的意味合いが、バイエルン州に出版を拒否させたのだろう」と話す。今回の出版に至るまでにも、曲折をたどった。

ドイツ・ミュンヘン近郊のランツベルク刑務所。ヒトラーの著書「わが闘争」はここで生まれた(撮影・澤田博之、共同)
ドイツ・ミュンヘン近郊のランツベルク刑務所。ヒトラーの著書「わが闘争」はここで生まれた(撮影・澤田博之、共同)

 ▽言葉が過激化招く

 著作権切れに危機感を抱いた州当局は2012年、注釈を付けた「わが闘争」の再出版を支援することを決めた。だが、バイエルン州首相が13年にイスラエルを訪問した際、ユダヤ人虐殺の犠牲者家族が「ナチス時代のトラウマがよみがえる」と反対すると、州は支援を取り下げてしまう。

 プロジェクトチームは、資金援助が得られなくなっても完成を目指して作業を続けた。「犠牲者の気持ちは尊重するが、悲劇を繰り返さないため、国民に幅広い情報を提供する責務がある」

 ブレヒトケンは「『わが闘争』に書かれていることと、ヒトラーが政権に就いて以降の出来事との関連性は明白」と指摘した。「わが闘争」は、言葉が社会の過激化を招いた典型例なのだ。

 それは1930年代に限定された話ではない。このところ難民や移民を標的にした放火事件が多発するドイツでは、難民排斥を求める右派政党「ドイツのための選択肢(AfD)」が躍進し国政進出をうかがう。

 ブレヒトケンは「AfDのペトリ代表は、政治論議の場に再び民族主義の概念を持ち込もうとしている。言葉遣いの過激化が気がかりだ」と「わが闘争」復刊が現代に向けた警告でもあることを示した。

 ◎刻印が語りかける

  世界最大のビール祭り「オクトーバーフェスト」などが開催され、ドイツを代表する観光都市として知られるミュンヘン。昨年秋、大量の難民が中央駅に到着した際には、市民が拍手で出迎えた。現在はリベラルな印象が強いが、戦前はナチスの重要拠点だった。

 1920年代にヒトラーが住んだアパートのあったイーザル川近くの通りは、昔の面影が残る。中心街へ歩くと、ヒトラー首謀のミュンヘン一揆が鎮圧されたオデオン広場があり、ナチスの集会が開かれたビアホールは今も営業している。

 ミュンヘン大学は、学生グループが戦時中に反ナチスのビラを配布して処刑された「白バラ抵抗運動」の舞台だ。壁に設置されたモニュメントが、行き交う学生に約70年前の悲劇について静かに語りかけていた。

 (共同通信ベルリン支局 桜山崇、写真 澤田博之、敬称略)=2016年11月30日

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