×
メニュー 閉じる メニュー

【伝える 訴える】第44回(米国) 「デジタルの宇宙」③

2017.2.9 13:34

「知識が世界を良くする」 万人の事典、無償で貢献

北米ウィキカンファレンスの会場。図書館内の各所で、年代も性別も多様な人たちが記事を編集する企画やさまざまな発表に参加していた=米サンディエゴ(撮影・遠藤弘太、共同)
北米ウィキカンファレンスの会場。図書館内の各所で、年代も性別も多様な人たちが記事を編集する企画やさまざまな発表に参加していた=米サンディエゴ(撮影・遠藤弘太、共同)

 「今年のノーベル化学賞に決まったジャンピエール・ソバージュ氏の記事を編集するんだ。まだ内容が薄いからね」

 米カリフォルニア州サンディエゴに秋の青空が広がる。9階建ての市立図書館で、米ハーバード大の博士号を持つジョン・サドウスキーが笑顔で話した。数時間後、オンライン百科事典「ウィキペディア」英語版の該当記事を検索すると、早速内容が追加されていた。

 

 
 

 ▽300の言語で

 ウィキペディアは、インターネット上で誰でも書き込め、無料で利用できる「万人の、万人による、万人のための百科事典」だ。市立図書館では10月上旬、年1回のイベント「北米ウィキカンファレンス」(以下ウィキ会議)が3日間開催され、約400人が訪れた。

 女性著名人に関する記事を増やす取り組みを発表した米ラスベガス在住のロージー・スティーブンソンは、今年のウィキ会議発起人の一人。

 「ウィキペディアの編集は基本的にひとりぼっちの作業。顔を合わせて情熱を分かち合う機会はとても大切なの」

 ウィキペディアは会費も広告も取らず、運営費は寄付に頼る。執筆や編集に報酬はなく、それぞれが自発的に参加する。

 何が彼らを突き動かすのか。ウィキペディアを運営する米国の非営利団体「ウィキメディア財団」で広報を担当するジュリエット・バーバラは、熱心な人々には共通点があると話す。「知識が世界を良くすると信じていること。私もそう」

 財団によると、今年6月までの1年間で世界中から500万件以上の寄付があり、計7700万ドル(約81億円)が集まった。利用者は毎月5億人。記事数500万本超の英語版を筆頭に、300近い各言語版がある。

 中には政府の情報統制で閲覧や編集が規制される国も。代表格は中国だが、中国語版の記事数は約90万本に上る。台湾の人々、海外在住者、そして規制をかいくぐった中国国内のユーザーが積み重ねた数字だ。

北米ウィキカンファレンスの会場となった図書館でパソコンを前に語り合う、中国語版ウィキペディアの管理者トミー・トン(右)とジミー・シュウ=米サンディエゴ(撮影・遠藤弘太、共同)
北米ウィキカンファレンスの会場となった図書館でパソコンを前に語り合う、中国語版ウィキペディアの管理者トミー・トン(右)とジミー・シュウ=米サンディエゴ(撮影・遠藤弘太、共同)

 ▽中立的観点

 「私もウィキペディアを編集したい」。中国語版の「管理者」には毎月、こうしたメールが100~200通も届く。

 管理者は、無意味な書き込みなど「荒らし」行為に対応するため、記事の削除を含む特別な権限が与えられた人々。中国語版には約80人いる。中国・上海で育ち、米国の大学で電気工学を研究する25歳の大学院生、トミー・トンはその一人だ。
 トミーによると、中国政府の規制をかいくぐる方法はあるが、編集をするには管理者による手続きが必要。殺到するメールはその要請で、数年前の何倍にも増えた。
 メールの発信者は若者が中心だ。この中の誰かが将来、中国語版に多大な貢献をするかもしれない。「一通一通が中国語版の『未来』です」
 トミーは大学入学後に編集を始めた。自分が書いた記事に、誰かが情報を書き加える。正確な記事を目指し、人類の知を一つ一つ積み上げるような感覚に魅せられた。
 トミーは「尖閣諸島」(中国名・釣魚島)の記事を比較して見せた。日本語版も中国語版も「日本が実効支配し、日中台が領有権を主張する」と3者の主張を並列する。「記事には『中立的な観点』が大切。お互いの立場の違いを知ることが、解決の第一歩になる」
 中国が神経をとがらせる1989年の「天安門事件」。中国国内のネット事典で検索しても「該当なし」となる存在の消された語句だが、ウィキペディア中国語版は長大な記事を掲載している。

米サンフランシスコの書店で本を探す若者。オンライン百科事典「ウィキペディア」など電子化された文字情報は書籍の世界を大きく変えた(撮影・遠藤弘太、共同)
米サンフランシスコの書店で本を探す若者。オンライン百科事典「ウィキペディア」など電子化された文字情報は書籍の世界を大きく変えた(撮影・遠藤弘太、共同)

 ▽「一歩ずつ」

 ウィキ会議で、トミーはオンライン上だけで知る中国語版の別の管理者らに初めて対面した。

 中国・西安出身でカナダの大学に通う21歳のジミー・シュウは、中国語版の新記事をツイッターで自動発信するプログラムなどを組む。「こんなかっこいい人だったなんて」とトミーが冗談交じりに言うと、ジミーは照れて頭をかいた。

 「中国での規制緩和に取り組めないかと考えている」。トミーはジミーに考えを打ち明けた。

 今春、知人の中国政府関係者から届いたメールが契機だった。「中国国内でも閲覧や編集ができるようにすべきかどうか、政府内で議論されている」と書かれていた。

 「緩和に賛成します」とトミーは返信した。中国の習近平政権は言論弾圧やネット検閲を強化。グーグルもフェイスブックも規制されているが「5年、10年かかっても一歩ずつ進めばいい」。自由こそが、中国語版の充実に通じると信じる。

 ウィキメディア財団の事務局長キャサリン・メイハーは言う。「私たちの最大の成果は、無料で知識をシェアする場所を作り上げたこと。中国語版ユーザーも、めげずに編集を続けてほしい」

 全言語で記事数4千万本に上る最大級の百科事典となっても「世界にはまだ数え切れない知識がある。プロジェクトは始まったばかり」と未来を見つめた。

 ◎熱い血が通う

 米サンフランシスコの中心部に立つ、6階建てのこぢんまりとしたビルの3フロア分。職員約250人というウィキメディア財団のオフィスは拍子抜けするほど小さかった。世界中のボランティアの力が、現在の巨大なウィキペディアを作り上げたということをあらためて実感した。

 仕事や日常生活で、何かと参考にするウェブサイトの背景を知りたくて取材を始めた。百科事典の文章は一見淡泊だが、日本語版だけで100万項目に上る記事の一つ一つに執筆者の熱い血が通っていることが、今では分かる。

 財団によると今年、日本だけでも10万件以上の寄付があったという。無数の人々が作り、支える。まだ道半ばではあるにせよ、インターネットならではの大きな成果であることは確かだ。

 (文 共同通信記者 小田智博、写真 遠藤弘太、敬称略)=2016年11月09日

最新記事

関連記事 一覧へ