「行政を科学する」 人々の意識くみ取りたい
地方の課題調べて分析 韓国からの研究者

三重県尾鷲市。知らない町並みを1人で歩いた。スーパーで、薬局で、おしゃべりをする。「何が有名ですか」「どこに行けばいい?」。答えに戸惑うのはなぜ。良い町なのに、見る所なんてないよ、って不思議だ。
東京都立川市にある統計数理研究所の助教、朴堯星(パク・ヨスン)(38)の仕事は社会の問題を調査し、分析すること。今一番関心があるのは地方への「移住」。韓国、台湾でも課題になっている。だが住民はどう考えているか。まずは感覚でつかみたい。「人々の意識をくみ取らないと、実効性のある政策につながらない」

▽行革
ソウルで生まれ育ち、名門の高麗大を飛び級で卒業。公務員を目指し大学院の行政学科へ。地方自治体の首長が選挙で選ばれるようになり、地方自治がブームになっていた。韓国の地方自治の枠組みは日本と似ている。実態を学ぶため国費留学生として2001年秋、東京工業大大学院の社会工学専攻に入った。
社会工学は文系と理系の知識を基に社会の問題を考え、解決するユニークな学問だ。教授の坂野達郎(さかの・たつろう)(59)に師事し、三重県の行政改革を研究テーマとして与えられた。
1995年に知事となった早稲田大名誉教授、北川正恭(きたがわ・まさやす)の下、全国で初めて行政に評価制度を持ち込んだ「事務事業評価システム」など一連の改革が始まり、2003年の北川退任後は、その点検が課題になっていた。
予算や組織は県の10年先のビジョン実現に則しているか。検証を県に頼まれた坂野は朴に託した。「元気が良く、好かれやすい性格で調査に向いている。東工大にはあまりいないタイプですね」
後輩と共に全職員約5千人へのアンケートを分析し、出先機関でインタビューもした。結果は、ビジョンを基に毎年度の目標を設定し、達成度を評価するその後のシステムの構築に生かされた。

▽感動
三重の体験は衝撃だった。地方を初めて見て都会との差に驚いたが、それ以上に発見があった。
ルールやマニュアルで縛らなくても明確な目標と裁量を与えれば、より効率よく目標を達成できる―。1960年代に企業経営で提唱された「目標管理」だが、成功事例を見たことがなかった。
「三重では部局長の権限の一部を課長級に渡し、いろんな工夫ができていた。しかも人が入れ替わっても、その文化が残る。感動しました」
行政評価とともに分権化を進めると、仕事への満足度も動機付けも高まる。個人の評価を気にしてチームワークが低下することはない。そんな事実を統計学や心理学を使った分析で明らかにした。誰もやったことのない研究だったと坂野は言う。
分析手法など全てを一から独りで学ぶしかなく、博士課程を終えるのに6年かかった。理論や実験と違って、社会工学では珍しくない。
坂野の指導は厳しかった。研究室の後輩で友人の成蹊大特別研究員、大崎裕子(おおさき・ひろこ)(34)は、論文を徹底的に批判され、打ちのめされている朴を度々目にした。「ずっとエリートで来たから否定されることは少なかったはず。先生は彼女を日本で活躍し続ける研究者に育てるのが使命だと思っていたのでは。でも落ち込んでも、なにくそと先生にぶつかっていった」
▽挑む
東工大で助教を2年務め、2012年に移った統数研は1944年に国が設立した研究所だ。
所長の樋口知之(ひぐち・ともゆき)(55)は朴を採用した訳を二つ挙げる。「新しいことに挑むバイタリティー。方法論にも将来性を感じた。日本に欠けている科学的根拠に基づく政策作りに役立つのではないか」
53年から続く「日本人の国民性調査」、それを深く理解するための「国際比較調査」、東京・多摩地域の自治体と共同実施する住民意識調査をチームで担当する。どこでも朴は最年少。手ほどきを受け、丁寧に調査することの価値に気付いた。
どうすればより多くの人に答えてもらえるか。郵送する調査票に手書きの一筆箋を添える、封筒をクリアファイルにする…。教授の土屋隆裕(つちや・たかひろ)(47)と工夫を重ね、今年夏にまとめた立川市の調査では約76%の回収率を達成し関係者を驚かせた。
2013年の国民性調査ではバブル期の「努力は報われるか」という質問の復活を提案し、報われないと感じる人が増えたことを明らかにした。樋口は「期待以上の活躍です」と喜ぶ。「価値観の違いも、刺激になっている。データサイエンスはこれから大学でブームになる。浮気して他に行くなよと言ってます」
海外の学会で韓国の人に会うと帰ってきたらと言われるけれど、そのつもりはない。「楽しいことを仕事にしてすごく幸せ。行政改革の実態だけでなく過疎を乗り切るための施策、必要となる行政の在り方も探ってみたい」。(敬称略、文・辻村達哉、写真・萩原達也)
◎率直に話す
歌舞伎を見たり、日舞を習ったりと多趣味な朴堯星(パク・ヨスン)だが最も興味があるのは「人」だという。お気に入りはカフェでの人間観察。それが研究にも生きているのだろうか。
今も事業評価の外部有識者として三重県に協力する。「僕らが口に出せないことを、ずばっと言ってくれるので非常に助かる」と地域支援課長の後田和也(うしろだ・かずや)(50)。
「今後はもうちょっと大人の表現を学びたい」と首をすくめつつ、国の有識者会議が「しゃんしゃん」なのと対照的だと水を向けると「国は三重県に学んだ方がいいと思う」と元気よく答えた。
率直な発言を好ましく思った。立場ばかり気にして話す学者を見るのは寂しい。考え抜かれた意見を聞き、活発に議論する。そんな世の中をつくるには、朴のような人が必要だ。(敬称略)