軋轢恐れず信念貫く 逆境乗り越えた「橋詰フェニックス」

2年前の8月7日は、朝から蒸し暑かった。
この日は「悪質な反則タックル問題」で揺れる「日大フェニックス」の新監督に内定した立命大OBの橋詰功さんが、初めてメディアの取材に対応するということで、東京・桜上水にある練習グラウンドには、多くの報道関係者が集まった。
初めて会った橋詰さんの印象は、ご本人には申し訳ないが「この人で大丈夫か?」というものだった。それは多分にOB目線であったことは否定しない。
ただ、饒舌とは言えない語り口から、自ら手を上げて火中の栗を拾う決意と覚悟が伝わってきた。
それから約1カ月後の2018年9月1日、橋詰新監督が正式に誕生した。
学生の名前も分からない状況で、新監督がまず打ち出したのは、それまでの長時間練習を2時間に制限し、選手間でのコミュニケーション構築のために、ミーティングを重視するというものだった。

この年、日大は関東学生連盟から秋の公式試合への出場資格停止処分を受けていた。目標を失った学生は、何をモチベーションに練習すればいいのか戸惑う日々を過ごしていた。
2017年。日大は、低迷打開の策として、練習冒頭の2500ヤードダッシュに象徴される、かつてのフェニックスでは当たり前のように行われていた猛特訓を復活させる。
この原点回帰は、大量の退部者を出す一方で、27年ぶりの甲子園ボウル制覇という「果実」を手にする結果につながった。
勝ったことで変わる環境と周囲の目。勢いづくチーム。連覇を強く意識したことが、2018年5月に関学大との定期戦で起きた「反則タックル」の遠因になったのではないだろうか。
極限まで鍛えることで得た成果は、選手にとっても「成功体験」として意識に残る。新監督のやり方に異議を唱える選手は少なくなかった。
その急先鋒が、前年の甲子園ボウルでエースナンバー「10」を背負い、1年生としては史上初めて、年間最優秀選手に贈られる「チャック・ミルズ杯」を獲得したQB林大希選手だった。
「もっと練習したい。けれども目標はない」。もどかしさが募り、たまるストレス。林選手は、新監督と激しくぶつかった。
突出した言動は、スター選手を孤立させもした。

新型コロナウイルスの感染拡大で春の試合がすべて中止になった今年に入っても、不安を抱えて部を去る意思を示す主力選手がいたという。
1年のブランクに加え、昨年は甲子園ボウルへの出場資格がない1部下位リーグのBIG8で優勝したものの、今年の秋のリーグ戦開催が不確実になったことが、学生たちに暗い影を落としはじめていた。
しかし、橋詰監督の指導理念は揺るがなかった。学生の意見を真正面から受け止め「対話重視」で、地道にチーム作りを進めてきた。
迎えた秋のリーグ戦。日大は3試合のリーグ戦に勝ち、桜美林大との優勝決定戦でも、前半こそ相手の気迫に押される場面もあったが、終わってみれば38―14で快勝。3年ぶりの甲子園ボウル出場を決めた。

桜美林大戦の前半にけがをして、ベンチで仲間の士気を鼓舞していた林選手は、試合終了の瞬間その場で泣き崩れた。
「自分がけがをしたときは悔しかったが、みんながいい試合をしてくれた。僕にとって甲子園は戻るべきところ。相手が関学なのは、操れない運命だと思った」
3年前、優勝したチームの中心にいた、当時まだ18歳だった林選手は「全員で勝利に向かってプレーするフットボールを関学に見せたい。モチベーションを保つのが難しい状況の中で、僕らを引っ張ってくれた去年の4年生のためにも」と続けた。
「選手たちが頑張った。逆境を力にできるようになった。逆境が、彼らを成長させた」。橋詰監督は学生をたたえた後「フェニックスというチームを預かって、ここまで来るのは義務。私としては、ほっとしている」と本音を漏らした。
初めて会ったときには分からなかったこの人のすごさが、少しだけ見えてきた。
軋轢を恐れず信念を貫き、しなやかに対応する。飄々とした振る舞いに包含された、指導者としての大事な資質を備えている。

監督との確執を乗り越えて、目標を達成した林選手は言う。「皆さんが想像できないくらいつらかった。橋詰さんがいたからここまで来た」
監督と仲間を信じてたどり着いた関東制覇。桜美林大戦で3TDを挙げる活躍をしたRB川上理宇選手(4年)は、「タックル問題があって、絶望と仲良くなった。一人一人がどう取り組んでいくかを考えるようになった」と、もがき苦しんだ過去の2年間を振り返る。
どん底から最短で聖地・甲子園への切符を手にした。それで過去に犯した過ちの禊(みそぎ)が済んだとは、チームの誰もが思っていない。

クリーンに正々堂々と。宿命のライバル関学大との30回目の甲子園ボウルは、DL伊東慧太主将が提唱する「フェニックスの新しい歴史をつくる」ための大切な試合になる。