ブレジネフ氏が初演説 1964年10月19日 「再現日録 東京五輪の10月」(19)


ソ連のブレジネフ共産党第1書記は19日、モスクワの赤の広場で演説し、ソ連新政権は引き続き、体制の異なる国との平和共存政策を推し進め、緊張緩和に努力すると述べた。16日にフルシチョフ首相兼第1書記の辞任が発表されて以降、新指導者が方針を明らかにしたのは初めて。
国内外をめぐる基本政策はフルシチョフ前政権と全く同じで、傍聴した西側外交筋からは「これではなぜフルシチョフ氏が退陣しなければならなかったのか、納得できない」との声が漏れた。
一方、16日に初の核実験を行った中国の周恩来首相から池田勇人首相に宛てた書簡の内容が19日、公表された。中国側は、核兵器の全面禁止と廃棄を討論するため「世界各国首脳会議の招集」を提案。これに対し日本政府は「核爆発を行った上で、全面禁止を提案するのは自家撞着(どうちゃく)」との官房長官談話を発表し、返答しない方針を示した。
東京五輪レスリング・グレコローマンで19日、日本選手がバンタム級、フライ級の2階級を制し、日本全体の金メダルは前回ローマ大会の4個を上回る6個となった。
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ブレジネフ氏の初演説は、ボスホート宇宙船の乗組員3人の歓迎会で行われた。3人が飛行中、無線で「君たちの歓迎会は私がやる」と伝えたフルシチョフ氏の姿は、この場になかった。(国名や組織・団体名、競技名、肩書などは当時の呼称に従っています。 共同通信=軍司泰史)
