パラリンピック準備進む 1964年10月31日 「再現日録 東京五輪の10月」(31)


11月に開幕する東京パラリンピックを控え、大会運営委員会は31日、開会式で宣誓する日本選手代表に、日中戦争で負傷し国立箱根療養所に入所中の青野繁夫(あおの・しげお)選手を選出した。開会式での旗手2人も決定した。
パラリンピックには日本の53選手を含めて、約20カ国から370人余りの選手が参加。11月8~12日の期間中に9競技144種目が行われる。
国際オリンピック委員会(IOC)のブランデージ会長は31日、東京都議会で都政関係者らを前に演説し、東京五輪の成功に感謝すると述べた。
ブランデージ氏は、第2次大戦で中止となった1940年の「幻の東京五輪」に触れ「当時はジェット機もなく、日本は遠い国だった。開催されたとしても今回のように大成功をおさめられたか」と述べた。その上で64年五輪の「能率的な運営、友情に満ちたもてなし」を称賛した。
一方、米軍施政下の沖縄では31日、米高等弁務官ワトソン中将が、第4代琉球政府行政主席に松岡政保(まつおか・せいほ)氏を任命した。
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青野選手はパラリンピックの報告書に「外国選手のあの明るさはどこから来るのか」と書く。海外選手の多くは職業を持っていたが、日本の53選手で仕事をしていたのは5人だけ。64年パラリンピックは、障害者の雇用とスポーツを前進させる出発点となった。(国名や組織・団体名、競技名、肩書などは当時の呼称に従っています。 共同通信=軍司泰史)
(※1枚目の写真は、白黒写真を人工知能(AI)でカラー化しました。実際の色合いと同じとは限りません)
