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人間らしく生きるため スポーツの存在意義 【為末大の視点】

2020.5.22 10:30 為末 大
東京・駒沢公園でジョギングするランナーら=4月26日
東京・駒沢公園でジョギングするランナーら=4月26日

 

 新型コロナウイルスの感染拡大で東京五輪・パラリンピックが1年延期され、全国高校総合体育大会の中止が決まった。プロスポーツの実施も不透明な中、スポーツの存在意義が改めて問われ
ている。

 現時点でスポーツの活動を抑制することは感染の拡大を防ぐ上で必要なことだ。終息まで数年かかるという見通しもある。それでも、いつかは再開のタイミングがやって来る。

 「不要不急」という見地から言えば、スポーツや文化、芸術は衣食住と直接は関わらず、なくても生命が絶たれることはない。このような局面で「スポーツは何の役に立つのか」といつも問い掛けられてきた。「何かあるはずだ」と思うのだが、スポーツ界もまた、それをうまく言語化できないでいる。

 ▽生の実感

 生物として生命が維持されることと、個人が生きていると実感することは同じ意味だろうか。人間は生命よりも、生きる意味を上位に求める生き物だ。生きる意味が感じられない状況では、時に自死を選んでしまうことすらある。

 例えば、私たちの健康状態を測る上で血液検査は大きな意味を持つ。その数値が良ければ、健康で長生きする確率が高まる。数値を改善するにはバランスの良い食事と適度な運動、そして十分な睡眠が大切だろう。

 一方で、これらが完全に実践されながらも、感情の起伏がなく、他者との交流もなく、自分を表現できない人生を私たちは生きたいだろうか。確かに健康は人生を延ばしてくれる。しかし、それだけでは足りない。人はただ生存したいのではなく、生きている実感を持ちたいのだ。

 健康のために行う運動とスポーツの違いを考えると分かりやすい。ランニング一つとっても健康のために行う人は、健康を維持するための手段として捉えている。

 だが、スポーツとしてランニングする人は、ランニングを行うことが目的になっている。爽快感や仲間との交流など人によって違いはあるが、たとえ何らかの効果が得られなくてもランニングを続けるだろう。突き詰めれば、スポーツの目的はスポーツをする、スポーツを楽しむ、そのことにある。

 オランダの歴史家ヨハン・ホイジンガの著書「ホモ・ルーデンス」の中に、人類がいかに遊びを文化にしてきたかが詳細に書かれている。ホモ・ルーデンスの意味は「遊ぶ人」だ。

 ホイジンガは、全ての文化は遊びから生まれたものだと説明する。仮にそうであれば、世界中の多様性や文化的差異もまた、遊びから生まれたものになるだろう。

 鍵となるのは、それらを生み出すことを目的に遊びがあったわけではないところだ。あくまで遊びの副次的な効果として文化と多様性が生まれたのだ。

 ▽幸せな時間

 今、大きなストレスが人類にかかっている。もちろん将来への不安や、既に生活が困窮している人は収入がなくなり、生活が立ち行かなくなることへの恐れなどが最も大きいだろう。

 自由な場所に外出できず、他者と近い距離で交流することができず、文化的な活動ができないことも、相当に影響していると感じている。

 私の競技人生は、目標を掲げてスタートした。最初は日本一、そして五輪、最後は世界一を目指し、最終目標を達成できずに引退した。

 振り返った今、思い出すのはいつも道中のことだ。達成したことの誇らしさや、達成できなかったことの悔しさよりも、何かに夢中になれた面白さの記憶の方がはるかに大きい。「それは役に立ったのか」と問われると分からない。ただ「とても幸せな時間だった」ことは、はっきりと言える。

 感染拡大を防ぐための自粛要請で、私たちは日常の中にあった人との交わり、体を使って遊ぶこと、何かを表現することの重要さ、当たり前のように思えた活動がどれだけ価値のあるものだったかを知った。

 スポーツや芸術、文化はぜいたくではなく、人間らしく生きる上で最低限、必要なものだ。新型コロナウイルスはそのことを強く、われわれに思い起こさせた。(元陸上選手)=33回

為末 大

名前 :為末 大

プロフィール:ためすえ・だい 1978年、広島市生まれ。法政大卒。陸上男子400メートル障害で2001年と05年の世界選手権で銅メダルを獲得。五輪は00年シドニー、04年アテネ、08年北京と3大会連続出場。著書に「諦める力」「逃げる自由」など。