×
メニュー 閉じる メニュー

福島から故郷に戻ってやりたかったこと、コーヒー店  U30のコンパス23部「好きなことで生きる」(2)

2018.1.16 16:00 神戸郁人
コーヒー豆販売店「bino」で試飲用のコーヒーを入れる菅原健児さん(左)と妻清子さん=山形県新庄市
コーヒー豆販売店「bino」で試飲用のコーヒーを入れる菅原健児さん(左)と妻清子さん=山形県新庄市

 

 「エチオピア、おいしく入れられないんです」「お湯の温度を低めにするといいかな」。山形県新庄市の住宅街に立つコーヒー豆販売店「bino(ビノ)」。男性客とオーナーの菅原健児(すがわら・けんじ)さん(51)が語らう店内に、ひきたてのコーヒーの香りが漂った。


 店を切り盛りするのは、健児さんと妻清子(きよこ)さん(46)だ。東京の専門店から仕入れたブラジル産など12種類の豆を扱い、購入前に試飲もできる。「お客さんと世間話に花が咲いたら、2、3時間は話し込んじゃいます」と清子さんが笑った。

 福島県の高校で教員を務めていた清子さんは、2003年に健児さんと結ばれ、娘2人を授かった。11年3月に発生した東京電力福島第1原発事故の後、一家で清子さんが生まれ育った山形県内に移り住んだ。

 当時、福島県郡山市の特別支援学校で働いていた清子さんは、山形から新幹線で通勤。遅いと帰宅は午後10時を回り、娘を寝かしつける余裕もない。「親子で一緒に過ごせる仕事をしたい」と考えるようになったとき、脳裏に昔の記憶がよみがえった。

 結婚して間もないころ、週末になると自宅近くの喫茶店で夫婦そろって朝食をとった。そのひとときが大好きだった。コーヒー片手に雑談すれば自然と心が和み、仕事の疲れも消えた。「誰かに安らいでもらえる空間をつくれたらすてきだな」。鮮やかな思い出が、清子さんに新しい目標を抱かせた。

 13年3月、学校を辞め、山形県内の社会福祉協議会に転職。休日には東京の老舗で焙煎(ばいせん)技術などを学んだ。そして17年1月、おしゃれなカフェなどが少ない故郷・新庄市で、こだわりのコーヒー店を開いた。ガレージ風の店内には、ソファでくつろげる談笑スペースも用意する。

 オープンから約11カ月、常連客も増えた。毎月豆を購入する男性(24)は「インスタントコーヒーすら苦手だったのに、ここでおいしさに目覚めた」と笑顔。コーヒー好き同士が交流を深める拠点にもなっており、今や地域に欠かせないコミュニティースペースだ。

 「『ずっといろや』と言ってくれる人たちと出会えた。ここで好きなことを続けたい」と健児さん。店名のbinoは双眼鏡を意味する英単語から取った。夫婦で見据え、切り開いた未来こそが「正解」だ。そんな思いを胸に、今日も最高の一粒を届けるためカウンターに立つ。(共同=神戸郁人29歳)

▽取材を終えて

 binoの印象を表すなら「心も体も温まる場所」。菅原清子さんが入れたホットコーヒーを味わいつつ、映画やカメラに詳しい夫健児さんと趣味について語らう。地元を離れ、一人暮らしを続ける私には、実家へ帰ったかのように安心できる時間だった。取材中、かつて清子さんが焙煎の勉強用に読んだ専門書を見せてもらった。目に入ったのはコーヒー豆の図解や、種類ごとの染色体数の説明…。科学書と見まがう内容に頭を痛めていると「面白いでしょ?」と清子さん。眠気覚ましに何気なく飲んできたコーヒーが、いかに奥深いものか思い知らされた。


 夫妻から伺った夢への道のりは、決して平たんではない。住み慣れた福島県で起きた原発事故の衝撃、仕事に忙殺される日々。何が困難を乗り越えさせたのか。「やっぱり家族。みんなで楽しく生きたい、やるしかないという思いでしたね」。そう話す清子さんの横で、健児さんが満足げにほほ笑む。清子さんが東京のカフェに通う際は、つきっきりで娘たちの面倒をみたという。深い信頼で結ばれる二人だからこそ、訪問客に安らぎを提供できるのだろう。おいしいコーヒーと、優しい笑顔が恋しくなったら、また店のドアを叩こう。そんなことを思わせてくれる素敵な空間だった。

関連記事 一覧へ