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物流支えた「JNR」連絡船

2018.2.23 11:00 八代 到
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煙突に「JNR」のロゴが輝く八甲田丸=青森市
煙突に「JNR」のロゴが輝く八甲田丸=青森市

 昨年、青森県の弘南鉄道を訪れた話を書いたが、今回はその話の続き(というより前段)だ。

 青森駅は青い森鉄道(旧JR東北線)とJR奥羽線の終着駅。両線とも北に向かって突っ込む形で駅に入る線形になっている。線路の先はといえば青森湾。昔は青函連絡船が青森と函館とを結んでいたから、線路がずっと北海道につながっていると考えてもらうと分かりやすい。

 その青函連絡船の勇姿を今も見ることができる。青森駅に隣接した岸壁に、ちょうど30年前の青函トンネル開通で海峡連絡の主役を鉄道に譲った「八甲田丸」が係留されていて「船の博物館」として静かな余生を送っている。その名も「青函連絡船メモリアルシップ 八甲田丸」。

 えっ? 鉄道のコラムなのに船の話をするのはどうしてかって? 青函連絡船は国鉄(最後の1年はJR北海道)が運航していた「『鉄道』連絡船」。船なんだけど鉄道、鉄道なんだけど船、という存在だった。

 白と黄色に塗り分けられた船体は、近寄ってみるとだいぶお年を召しているのが分かるが、てっぺんの煙突には白地に赤く、国鉄を示す「JNR」のロゴが! 発足から30年たった「JR」を見慣れていると、このシャープなロゴがとても懐かしい。

 2階に当たる甲板に入り口があって船内へ。階段を上がると、昭和30年代の青森駅周辺を再現したジオラマコーナーや、かつての船室、座席などで青函連絡の歴史をたどれる。グリーン車ならぬ「グリーン船室」という表示もあって、やはり国鉄らしい船なのだった。もう1層上がるとブリッジ(操舵室)、船の中枢だ。

 エレベーターで1階に降りると、そこにはなんと鉄道車両が眠っていた。床面には線路が敷かれていて、貨物や郵便を運ぶ車両、ディーゼル機関車、特急車両などが整然と並んでいる。ここは連絡船が貨車ごと車両を積んで海峡を渡っていた名残の空間なのだ。

八甲田丸船内の車両甲板には鉄道車両が眠っていた
八甲田丸船内の車両甲板には鉄道車両が眠っていた

 かつては青森駅も函館駅も線路が桟橋に延びていて、連絡船の接岸時には、積み降ろしの作業をすることなく貨車がそのまま船内に入っていった。便数もスペースも限られているから大量輸送というわけにはいかなかっただろうが、日本列島の物流を支えていた、大事な動脈の一本だった。

 青函トンネル開通から30年。一昨年には北海道新幹線が開通した。今どき東京から札幌に行く客が鉄道を使うことはまずないだろうが、本州と北海道がトンネルで結ばれたというのは大きな意味があった。1日に何往復も設定される貨物列車により、大量の貨物が安定的に運ばれるようになった。青函連絡船にも、青函トンネルにも感謝の思いでいっぱいだ。

 ☆八代 到(やしろ・いたる)1964年東京都生まれ。共同通信社勤務。八甲田丸はぼくと同じ64年生まれだと知りました。見る目が変わった!