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為末大の視点

陸上男子400メートル障害で2001年と05年の世界選手権で銅メダルを獲得。五輪は00年シドニー、04年アテネ、08年北京と3大会連続出場を果たした陸上選手 為末大の視点。

第6回 アスリート性 

2017.2.27 14:13 為末 大
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為末大氏
為末大氏

 東京・六本木の21/21デザインサイトで開かれている「アスリート展」(6月4日まで)で、初めてディレクターを務めた。トップアスリートを扱った展示は数多くあるが、普遍的なアスリート像を表現するために、今回はトップアスリートの紹介を行わないで、デザインの力で表現しようと試みた。注目をしたのは私たちの中にある「アスリート性」だ。

 トップアスリートは卓越した技術や能力を持ち合わせているが、その背景にあるのは身体を扱うことだ。スポーツにおける習得のプロセスは極めて複雑だ。サッカーでは走りながら、相手選手との距離感を考え、足元でボールを受けてドリブルを行い、同時にパス先を探してパスを出す。それらが同時進行で行われる。その多くは無意識の世界で行われているが、これだけ複雑なことを行っていながら、選手の意識はパスを出すことだけに集中している。

 同じようにコップで水を飲むときは、まずコップめがけて手が動き始め、ちょうどいい位置でコップをつかみ、硬さと重さを確認しながら、ちょうど良い力加減で口元に持ってくる。しかも時には誰かとおしゃべりしながら。日常動作も十分に複雑だ。

 囲碁で人間が人工知能(AI)に敗れるということがあったが、スポーツではまだ一つも敗れていない。それはスポーツがすごいということではなく、人間が意識的に制御しているものよりも、無意識で制御している世界がより複雑だということだろう。動きは無意識で制御されている。

 「アスリート展」の体感型の作品は、私たちがいかに身体を制御するかということに主眼を置いて作った。トップアスリートがトップであるゆえんは、身体の強さよりもむしろ制御にある。ちょうど良い加減にうまく動かせるということがより重要なのだ。

 「枯れ木に花咲くを驚くより、生木に花咲くを驚け」と詠んだのは三浦梅園だ。当たり前のように行っている動きの中に人間の不可思議さが宿っている。そして、その延長線上にあることがアスリートの身体動作なのだと思えば、より驚きが増すのではないだろうか。

為末 大

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