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47リポーターズ

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コロナ禍の環境に学ぶ 自粛を経て記録向上 【為末大の視点】

2020.8.23 10:00 為末 大
ホクレン中長距離チャレンジ第2戦の女子3000メートルで8分41秒35の日本新記録をマークし、喜ぶ田中希実=7月8日、深川市陸上競技場
ホクレン中長距離チャレンジ第2戦の女子3000メートルで8分41秒35の日本新記録をマークし、喜ぶ田中希実=7月8日、深川市陸上競技場

 

 新型コロナウイルスが感染拡大する中、恐る恐るではあるが陸上競技の試合が再開された。長い間トレーニングが中断されていただけに、選手たちの体調面が心配されていたが、意外なことに中高生を中心に続々と新記録が出ている。一体なぜ、このようなことが起きているのか。

 もちろん、今年の状況は例年とは異なる。2020年東京五輪に向けて、選手たちはかなり調整をしてきていた。夏に地元日本で行われるはずだったから、多くの選手が意気込んで冬のトレーニングを積んでいて、その影響で現在も調子が良い可能性はある。

 ただ、それだけでは説明が難しい。東京五輪とは直接、関係ない中高生の好記録も出ているからだ。自粛期間中に起きた何かが、選手の記録を押し上げているのではないだろうか。

 ▽練習抑制

 いくつかの要因が考えられる。第一に練習が抑制されたことだ。そもそも、これまで日本の部活動は練習過多だった。他国と比較して、先進国の倍の時間をかけている競技すらある。

 一定期間、競技から離れることのメリットはよく知られている。体がフレッシュになり、良い状態でトレーニングができるようになる。けがのリスクも減る。また、競技と距離を置くことで、競技をよりシンプルに捉えられるようになる。継続してきたことに目が行き、前例を踏襲しがちになる中、新鮮な見方に戻してくれる効果がある。

 何より練習時間が制限されたので、選手たちが「競技をしたくてしょうがない」という状況をつくれたことが大きいのではないか。

ホクレン中長距離チャレンジ第2戦の女子3000メートルで、力走する田中希実(手前)=7月8日、深川市陸上競技場(代表撮影)
ホクレン中長距離チャレンジ第2戦の女子3000メートルで、力走する田中希実(手前)=7月8日、深川市陸上競技場(代表撮影)

 

 練習過多が生み出す最も大きな弊害は、本来はやりたくてやっているはずのスポーツが「やりすぎて、もうやりたくない」という燃え尽き感を抱かせるところにある。競技が再開された時、選手たちのすがすがしい表情がとても印象的だった。

 第二に全国規模の大会がなくなったことだ。今年は全国高校総合体育大会(インターハイ)や全国中学校体育大会などの開催が中止され、選手たちは大いに落胆した。

 全国大会のメリットは、子供たちに目標が生まれ努力する喜びが得られることだが、デメリットは指導が過熱し、子供たちが強い重圧にさらされてしまうことだ。

 大きな目標が消え、選手たちが「競技を楽しんで全力でプレーすればいい」という心境になったことも、良い結果が生まれる理由の一つではないだろうか。

 夏の全国大会や国際大会が終了した後、リラックスして臨んだ秋の国民体育大会で好記録が出る現象は前からあった。

今季初戦となった山梨県富士吉田市で行われた競技会に臨む桐生祥秀(中央)。100メートル決勝を10秒04の好タイムで優勝した=1日、富士北麓公園陸上競技場
今季初戦となった山梨県富士吉田市で行われた競技会に臨む桐生祥秀(中央)。100メートル決勝を10秒04の好タイムで優勝した=1日、富士北麓公園陸上競技場

 

 ▽基礎体力

 専門練習が減ったことも要因として挙げられる。私が現役時代、米国と欧州の両方でトレーニングして驚いたことの一つに、ハードルを跳ぶなど専門練習の時間の少なさがある。専門練習は1時間程度で、それ以外は体幹トレーニングなどの基礎体力を向上させる練習に充てられた。

 専門練習は負荷が強いために長時間行えば、けがのリスクもあること、基礎的な体力が専門的な技術を押し上げるということが理由だった。

 今回の自粛期間中は競技場も封鎖されていたために、専門的な練習をするには不十分な環境だった。その代わりに行っていた地道な基礎トレーニングが、競技力をアップさせた可能性があるのではないか。

 これまでも、けがで離脱した選手が競技復帰後に好成績を残すという事例があった。けがをしていた期間、普段であれば目を向けない基礎的な練習を十分に積んだことが影響しているのではないかと言われる。 

 私たちは「習慣の生き物」で、どうしても以前から行われていることを疑うのが難しい。コロナ禍の特殊な環境に置かれたために、選手たちにどのような変化が生まれたのかをしっかりと検証し、その結果を共有することがスポーツ全体にとって、とても重要だと考えている。

 新型コロナは社会に大変な被害をもたらしているが、同時に私たちの学びも促進しているように思う。そして、ここから得られた学びはコロナ感染が去った後もスポーツ界に残り、次世代の可能性を開いてくれるだろう。(元陸上選手)=34回

為末 大

名前 :為末 大

プロフィール:ためすえ・だい 1978年、広島市生まれ。法政大卒。陸上男子400メートル障害で2001年と05年の世界選手権で銅メダルを獲得。五輪は00年シドニー、04年アテネ、08年北京と3大会連続出場。著書に「諦める力」「逃げる自由」など。